ことばの上の論議や、憤(いきどお)りをやるだけでは、もう大衆は納まらない心理になっていた。
「やれやれッ」
と、誰かいいだす。
「黒谷(くろだに)へ襲(よ)せて行け」
「吉水を葬(ほうむ)れ」
「売教徒の巣を焼き払え」大講堂の縁には、さらに二人立ち、三人立ち、七、八名の煽動者(せんどうしゃ)がおどり上がって、激越な口吻(こうふん)で、
「念仏退治へ」と、指さした。
「待てっ」
するとまた、そこへ四、五名が上がって大手をひろげていう。
「暴力妄動(もうどう)はよろしくない。かえって、山門の威厳を失墜することになろう。よろしく、合法的に、邪教のうえに天譴(てんけん)をくだすべきであろう」
大衆は、波を打って、
「いかんぞする!策は」
「いかんぞする!手段は」
と吠えたけぶ。
しわがれ声をしぼって、老齢らしい弱(よろ)法(ぼう)師(し)が懸命にいった。
「上(じょう)訴(そ)上訴。――われらのうち数名のものが、まず政庁に赴いて、念仏停(ちょう)止(じ)の願文(がんもん)をさし出し、朝廷へ訴え奉るが何よりの策じゃ」
論議は、ふた派にわかれ、壇上に立った者が、互いに譲らないで、舌戦を交わし初めたが、それが熟してくると、ついには、一方が一方の者を壇から突き落す、這いあがって行った者ままた、その相手の胸を突く、そして撲(なぐ)る、撲り返す、騒ぎは帰するところがない。
すると、混乱している大衆のうちから、
「こいつ、念仏の回し者じゃ。吉水の探(さぐ)り者(もの)じゃ。逃がすなっ」
と、大声でわめき出した者がある。
見るとその者は、一人の法師の襟がみをつかんで捻(ね)じつけていた。
捕われた法師は、三塔の大衆と同じように頭へ袈裟(けさ)巻(まき)をし、入道杖を持っていたが、なにか挙動のうえで見(み)咎(とが)められてしまったのであろう、吉水の弟子僧たちと相談して、叡山の動向を見にきていた例の実性(じっしょう)という若者であった。
「おお、こやつは、元叡山におって、今では吉水の門下で実性とか呼ばれている売(まい)僧(す)じゃ」
「さては、法然にいいふくめられわれらの動静を間諜(かんちょう)しにうせたな」
「いうまでもない、隠密(おんみつ)じゃ」
「どうしてくれよう」
「懲(こ)らしめのため、ぶち殺せ」
この殺気のなかで見つかったのであるから、堪(たま)ろうはずなない。
実性は、悲鳴をあげて、逃げかけたが、無数の杖の下に乱打されて、そこへ仆(たお)れてしまった。
手を取り足を取り、彼のからだは山門の下へ担ぎ出された。
首を刎(は)ねて、その首を麓(ふもと)に晒(さら)してやろうとする者もあったが、それではかえって、見せしめにも懲らしめにもならない、よろしく耳を削(そ)いで追い返すがよいと多くがいう。
大衆はすぐ、実性の両耳を、鋭利な刃物で切り取って笑った。
そのうえ、
「それ、好きな念仏でも吠(ほ)ざけ」
と、杖や足(あし)蹴(げ)に弄(もてあそ)んで、彼のからだを血(ち)泥(どろ)にまろばせて抛(ほう)り出した。