?(ろう)やかな五(いつ)つ衣(ぎぬ)にくるまれて、前(さき)の関白家の深窓に育った新妻も、女の覚悟というものか、嫁いでから後は、いつか草ぶかい岡崎の草庵にも住み馴れていた。
「もうお帰りのころであろうに」
玉日は、黄(たそ)昏(が)れになると、草庵の廂(ひさし)から夕雲をながめて、旅にある良人(おっと)の上へ、うっとりと心を走(は)せた。
摂(せっ)津(つ)から大和(やまと)路(じ)を巡ってくる――そういったまま飄然と旅に出た良人のことを。
もとより沙門(しゃもん)の人に嫁(か)したからには、町家の人や在(ざい)家(け)の武士(さむらい)や公卿(くげ)の家庭のような夜ごとのまどいや朝夕のむつまじい日ばかりを彼女も予期してはいなかった。
けれど――
「ここにおいで遊ばしましたら……」
と、燈火(あかり)をともすにつけ、夕(ゆう)餉(げ)の膳に向うにつけ、女らしい哀愁は、当然にうごく。
月輪(つきのわ)の実家(さと)方(かた)からついてきた、たった一人の侍女(かしずき)と、牛車(くるま)の世話をする牛飼と、弟子の性善坊と覚(かく)明(みょう)と――このせまい草庵にもおよそ七、八名の家族はいるのであったが、夜に入ると、それらの人はめいめいの部屋にこもってしまって、暗い松風の音が海鳴りを思わせるばかり淋しかった。
「しっ、盗(ぬす)っ人(と)め!」
勝手口の水屋の外でこう大きく召使の誰かが呶鳴(どな)った。
馴れぬうちは、そんな声にも、たましいを脅(おびや)かされた玉日であったが、近ごろは、人里を離れたこの岡崎の住居(すまい)にも馴れたので、また、裏の松ばやしに棲む狐の類(たぐい)が、納屋(なや)の穀物や、流し元の野(や)菜屑(さいくず)を漁(あさ)りにきたのであろうと思うだけで、かくべつ驚きもしなくなった。
嫁いで後、新たに建て増した持仏堂と二つのせまい部屋とに、宵の燈火(あかり)を入れると、彼女はささやかな調度と机のある辺(あた)りに坐って、やはり良人のことを考えているのであった。
――とこに?
こよいの灯を、良人はどこに見ているのか。
そして良人は、自分のことを思うていてくれているかしら、自分がこうして良人を思慕(しぼ)しているように。
「いや」ふと、彼女の寂寥(せきりょう)は、落莫(らくばく)と青春の葉をふるい落した林のように悲しみを奏(かな)でてくるのであった。
「良人は、わたしのことなど、わたしの万分の一も思うてはいらっしゃるまい。
……ただ念仏を、ただ御仏を、そしてまっしぐらに念々と求めていらっしゃるのは、どうしたら、仏と一体になれるか、それしかないに違いない。
――こんどの旅の思い立ちも、その御修行であるからには」玉日は、女として悲しかった。
たえられぬさびしさに身を蝕われる気がする。
よよと、声を打ちあげて泣き伏したい気もしてくるのである。
だが――その良人をえらび、この運命を作ったのは、誰でもない、自分自身であった。
しかも、あらゆる周囲の反対や世間のごうごうと非難するものと闘って、ついに克(か)ち得た恋の冠(かんむり)ではないか。
ああこの恋の冠。
それは、七宝(しっぽう)の珠玉や金銀のかがやかしいものではなかった、氷柱(つらら)の簪(かんざし)と棘(いばら)の環(わ)にひとしいものである。
さびしさに嘆く時、かなしむ時、その氷柱や棘は、心を刺す。
彼女は、これは自分の心がいたらないために仏が傷(いた)みを与えるのだと思った。
自分の心のもちようでは、恋の冠は七宝万(ばん)朶(だ)の花となって、誇り楽しめる栄(え)耀(よう)でなければならないはずだと考えた。
「そうだ、良人が仏と一体な心になるなら、自分も仏と一体にならなければならない。良人が偉(おお)きくなってゆくのに、自分が取り残されてはならない」
持仏堂の御(み)燈火(あかし)の油を見まわって、彼女は、氷の花のように、美しく冷たくそこへ坐った。
そして、静かに口のうちで念仏をとなえていた。