「あっ、お師さまが」
「師の御房がお帰りなされた」
草庵のうちにこの声が起ると、なぜかこの春の日を寂(せき)として沈んでいた空気が、いちどに爛漫(らんまん)と明るくなった。
わけても、その中で誰よりも、深刻なよろこびを、無表情に似た表情のうちにつつんでいる人が、裏方の玉日であることはいうまでもない。
旅すがたのまま、いちど持仏堂へ入り、やがて、静かに出てきた善信は、自分のまえに額(ぬか)ずいて、無事な帰りを祝う法弟たちに向って、
「留守中、御(み)仏(ほとけ)のおまもり、忝(かたじ)けなく思います」といった。
なにか、ずきんと胸の傷(いた)むように顔いろが、皆の面(おもて)を横ぎった。
しかし、誰も口を切る者はなかった。
――師の善信の旅の垢(あか)によごれた姿を仰いでも、そういう気持になれなかった。
その旅の衣(ころも)をぬぎ、やがて善信はひさしぶりに自分の一室に落着いた。
「よう、お窶(やつ)れもなく」
玉日は、この良人(おっと)を、どうして慰めようか、自分の女としての真心をあらわすのに苦しんだ。
「そうかの」
善信は、自分の頬を手でそっと撫(な)でて、和(なご)やかに笑った。
「もう、この頬には、どんな苦難が襲ってきても、病(やまい)のほかは、窶(やつ)れさすことはできなかろう。そういう自信が近ごろできてきた」
「うれしいことでございます」
「そなたは」
「さ……」
玉日は自分の心に問うてみて、留守中の自分にそんな信念がなかったことに気がついた。
この先もまだ、なかなか危ない気がするのである。
「わたくしは、痩せたでしょうか」
「そうのう」
「痩せたかもわかりません、ほんの少し……」
善信は笑った。
さすがに、新妻のすがた――やわらかい姿態(しな)――女のにおいというようなものが、善信の旅にすがれた眸を、しみじみ、見入らせるのであった。
――この女(ひと)なくば、自分は。と、ひそかに思う。
(どうなったか)と回顧するのである。
青年時代の何ものをも烈々と焼くか突き貫(とお)さずにはおかない情熱と、その時代を久しくつつんでいた真っ黒な懐疑と、当然、それから行きはぐれてしまう所だった青春と求(ぐ)道(どう)のわかれ道に――もしこの女(ひと)が心になかったら――あるいはついに、
(虚無)の二字を宙に書いて、人生の絶望か、人生への絶縁かに、一気に墜ちて行ったかもわからない。
打っても打っても、血の出るほど叩いても、ついに開かれなかった過去の聖(しょう)道門(どうもん)から、一転、法然上人の易(い)行(ぎょう)の道へ行ったあの機縁も、
(もし、この女(ひと)がなくば)と思わずにいられないことが彼にはある。
なにもかもが、明朗に、こうして今の一つの生活のうちに解けて、生に法悦(ほうえつ)を感じられる功(く)力(りき)は、あの六角堂の参籠(さんろう)や、安居院(あごい)の聖覚法印のみちびきのほかに、まさしくこの女(ひと)の功(く)力(りき)もある。
「自分にとっては、妻こそは、如意輪観世音菩(ぼ)薩(さつ)である」
――そう善信は、心のうちでつぶやきをもらしていた。と。
何かその時、草庵の外に、騒がしい跫音(あしおと)がし、下等な悪たれが聞えた。