親鸞 2015年7月1日

「――弟子の未熟はいうまでもなく師の未熟。覚明の犯した大殺(だいさつ)の科(とが)は、申すまでもなくこの善信の犯せる罪に相違ないのです。……なんの貌(かんばせ)あって、弥陀本尊のまえに、私は安坐しておられましょう」

善信は、そこの持仏堂を閉じこめて、自身へ責めをうけていた。

「――思うに、まだ私の生活や、私の行(ぎょう)が仏のみこころに莞(かん)爾(じ)として受け容れていただくほどになっていないためと存じます、今日の出来事も、妻を娶(めと)り、法悦に甘えて、懈(け)怠(たい)を生じた私の心へ、苔(しもと)をお与え下さったものと考えます」

あたりが暗くなっても、彼はそこを出なかった。

彼の心が今、暗澹(あんたん)と責められているように、壇にも燈明(あかり)が点(とも)っていない。

「おゆるし下さい。覚明の罪をいや私の科(とが)を。

――同時に吉水の上人のおん身にこの禍の暴風雨(あらし)がつらく当りませぬよう。

――吹かばこの身へ、降らばこの身へ、何事もこの善信へ、百難百苦を降(くだ)させたまえ」

――祈るうちに、その暴風雨というほどではないが、かなり強い風が、草庵の廂(ひさし)を翔(か)けていた。

起って――善信は消えていた燈明へ灯(ひ)を点じた。

どこからともなく吹き入る風に揺れて、小さな火の舌は焼くものを求めるように白く狂った。

その灯を見つめて、善信はふと、自身の身のまわりに、いつの間にか、自分の生命(いのち)を生かす必要以上なものが蓄(たくわ)えられているのに気づいた。

自分の若い生命は、たしかに、異性というものに結びついて、一つの安定を得てはいるが、その形が、これからの生活に、複雑を生み、贅(ぜい)に安んじ、懶(らん)惰(だ)になってゆき易いことを、彼はひそかに怖れていた。

現在のあんていが、もしそういう人間の堕ち入り易い病弊(びょうへい)の産褥(さんじょく)のようなものであったら、安定は、やがて次の苦悩の芽をかくしている病床(びょうしょう)に他(ほか)ならない。

――善信は、慄然(りつぜん)とした。

覚明や、その他の弟子たちの気持も、いつのまにか、自分のこういう生活の形に影響されて、変っているのじゃないか。

ひとつの逆境時代――苦難時代というものを通り越して、ほっと、陽なたの春を楽しむような人間の気持のたるみというものは、誰にもある、自分にすらある。

「そうだ」黙って、善信は外へ出た。

風はあるが、星月夜だった。

彼は、牛小屋の隣に眠っている小者をよび起して、

「彼方(あなた)へ、輦(くるま)を曳け」といいつけた。

牛方の小者は、ふいに、善信がどこへ外出するのかと驚きの眼をみはった。

いわるるままに、輦を遠くへ曳き出し、次に、牛を解こうとすると、

「牛をつけるには及ばぬ」

善信は、持仏堂の御(み)燈明(あかし)から紙(し)燭(そく)へ灯をうつして再び出てきた。

そして、その灯を、絢爛(けんらん)な糸毛(いとげの)輦(くるま)のすだれの裾(すそ)へ置いた。

この輦は、昨年の秋、彼と玉日が婚儀をあげるについて、月輪の九条家が新調した華美を極めたものである。

――ある日は、新郎新婦が、その内に乗って、岡崎から吉水までの大(おお)路(じ)を牛飼に曳かせ、都の人々から嫉(しっ)妬(と)の石を雨のようにぶつけられたその輦でもあった。

「……あっ。師の房様が、輦(くるま)をッ、輦を焼かっしゃる」

牛飼の者は、彼方の小さい火が、やがて、真っ赤な一団の炎(ほのお)となったのを見て、草庵の中へ向って、大声でわめいていた。