覚明はその時、叱られる子が、怖い親の姿を見たように、はっと、眸をすくめた。
「…………なんといってお詫びしよう」
頭がそれでいっぱいになっていた。
――彼方(あなた)から師の善信はこっちへ歩んでくるのだった。
いつになく恐い顔を持って。
「…………」
覚明は樹蔭に息をころしていたが、師のすがたが、立ちどまって、怒っている濃い眉毛に、一抹(いちまつ)の憂いをたたえ、その眼を、あなたこなたへやりながら、いかにも心配らしく、自分の姿を探しているらしい様子なのをながめると、堪らなくなって、
「師の御房……不(ふ)埒者(らちもの)の覚明はここにおりました」
走り出て、その前へ、ぺたっと両手をつかえた。
善信は、眼を落して、
「むむ……」なんともいいようのない感情をその顔に燃やした。
憎んでいいのか、いたわっていいのか、善信は自分もまた余りにこの覚明と近い感情の持主であるがゆえになんともいう言葉がなかった。
――だが、自分たち師弟は、一に仏の僕(しもべ)であって、どういう場合の裁きも、小さな我見であってはならない、御(み)仏(ほとけ)の旨をもって、自分も裁き、人も裁くのでなければならない。
閉じていた善信の眸は、やがて、静かにみひらいた。
「覚明……。お身は二十年の精進と徳行とを一瞬に無に帰してしまわれたの。千日刈(か)った萱(かや)を、一時の憤懣(ふんまん)に焼いてしまわれた――」
「お師様っ。この愚鈍な男を、どうぞ、打ってください。踏みにじって、お怒りをおなだめ下さいまし」
「打ちすえてくれと?」
「はい……。さもなくば、ここの樹に私を荒縄で縛(くく)り付けて、叡山の狼どもに、この体を与えて下さい」
「……もう遅い」
善信は、自分の胸が痛むように、熱い息をついていった。
「なぜ一瞬前に、それへ気づいてくらなかったか。今となって、おことの肉体を縛(くく)って贄(にえ)となそうとも、わしが足蹴にかけて叱ろうと、それが叡山へ対してなんの効(か)いがあろう、吉水の上人に向ってなんのおわびとなろう。……ただわしという者と、お身という者との感情を一時しのぎになだめてみるに過ぎないことだ」
「…………」
覚明はその逞しい肩を大地へ埋(うず)め込むように、顔を俯(うつ)伏(ぶ)せたまま、声をあげて哭(な)いた。
「――さらばじゃ」
師の声に、彼は、泣き濡れた顔をふりあげて、
「あっ、では……。ではこのまま、再びお側には」
善信は答えなかった。
破門――師のうしろ姿は、無言の宣言をいいわたしているかに見える。
その破門をうけようと、地獄へ墜ちようと、覚悟のうえで敢てしたことであったが、覚明は悲しまずにはいられなかった。
「……そうだ」
われにかえると、彼は、こうして自分が師の草庵の近くにいることは、よけいに師を苦しませるものだと思った。
――悄然(しょうぜん)と、覚明の姿は、やがて岡崎の松林を去って、いずこへともなく落ちて行った。