「いかがです、善信御房」
「されば」善信は、居ずまいを直し、
「私の考えを述べます」
はっきり答え出したので、同席の人々は、みな善信の眉へ視線を向けた。
善信の眼には、彼のここまで研(みが)きぬいてきた信心が、こって眸(ひとみ)となっているように耀(かがや)いていた。
「信心に、二つはありません。唯一なものです。人に依って、その誠にも変りがあると仰せられるのは、古い考え方です。聖道門の人たちのいった言葉が、まだあなたがたにどこかこびりついているせいでありましょう」
こう彼が、確信をもっていいきると、一同の顔いろに、ちょっと白けたものが流れて、唖(おし)のように、黙り合った。
彼に、問題を提出して、問題の解決に努めていた湛空は、
(これは意外なことを聞く)といったように、ちょっと唖(あ)然(ぜん)としているし、念仏房念阿も、勢観房源智も、その他のほとんどといっていい大勢が、
(もってのほかな説)と、明らかに、反対な眸をして、善信の眉を見つめ合った。
「では、承るが――」
と、湛空はその人たちの意見を代表して、詰問(きつもん)するように、
「――善信御房は、そういうお考えとすると、御自身の信心も、師の上人の信心も、同じである、一つである、少しも異(ちがい)はないと仰せられるのか」
「そうです」
「ちと、僭越(せんえつ)なおことばと存ずるが」
「なぜですか」
「年齢と申し、体験といい、また学問の程度と、あらゆることにおいて、師の上人と、まだ三十歳をでたばかりの御房とは」
「ちがいません」
「はて強情な。――しからば、この湛空の信心と、あなたとでは」
「なんの異なることもない。信心は一です」
「どうして」
「今さら申すまでもないことと私は思う。ひとたび、他力信心のおさとしをうけてから、私は、そんな問題に今日まで迷っていたことはありません。そのいわれは、師の上人の信心も他力によって身に持ち給うもの。
また、この善信の信心も、他力によって持つところのもの。
――どこのこの両者のちがいがありましょう。否、師と弟子のみではなく、他力門の信心は、すべて一つであって、異(ちがい)があってはならぬものと思うのです」
だが、善信がいっただけでは、皆屈しなかった。
やむなく、法然の前へ出て、一同は、この解決を求めた。
すると法然は、こういった。
「人により、信心に異(ちがい)があると観るのは、自力の信心のことをいうのじゃ。智慧とか、身分とか、男女(なんにょ)の差とか、そういうものを根本(もと)にして考えるから、信心もまた、智慧、境遇などに依って、差のあるもののように考えられてくる。
――しかし、念仏門の他力の信心というものは、善悪(ぜんなく)の凡夫、みな等しく、仏のかたより給わる信心であって、みずからの智慧や境遇の力に依ってつかみとる信心ではないのでござる。
――ゆえに、法然が信心も、善信が信心も変りはないはず。信心に変りありと考えておわす方々は、この法然が参る浄土へは、手をとりおうても、よも共々参り給うことはかのうまいに……。ようもいちど考えられてみられい。いつも一つこと繰り返すようでござるが、もいちどここでも申そう。念仏は絶対他力の教えであるということを」