親鸞・悪人編 2015年8月22日

布教の前線に立つ人々は、いつも、実社会や反対派の法敵に素面で触れているだけに、

「叡山が何だ」

「奈良、高雄、みな旧教の蒙(もう)をかぶって、象牙の塔に籠っている過去の人間どもばかりではないか」

住蓮も、安楽も、気がつよかった。

迫害があればあるほど、むしろ、強くなり得るのだった。

従って、民衆は、飽くまで対象としているが、旧教の反対などは、てんで眼中にないといっていい。

「社会は、うごいているのだ。百年でも、千年でも、黙っていれば、どこまでも眠っている人間どもに、この生きている実社会に、何の発言権があるか」

と、一方がいえば、

「そうだとも、おれたちこそ、今の民衆の唯一な希望の対象にあるのだ。あんなものは、無視して、俺たちはただ、新しい民衆の希望の地を開拓してゆけばいい」

と一方も、眉を昴げた。

そういう気概の二人だった。

それに寄ってくる民衆が、彼らの行(ぎょう)と智に心服して、慕えば慕うほど若い開拓者は、

「この事実を見ろ」

という気持で、精進(しょうじん)に励んだ。

――民衆のよろこびを自己のよろこびとして、まったく、こここそ、浄土そのもののように、社会人の実生活と、仏弟子の法業とが、渾然(こんぜん)と、一つものになって、一韻の鐘の音(ね)にも、人間のよろこびが満ちあふれているように洛内の上を流れていた。

「――下から見たよりは、思いのほか高い」

松虫は、ほの紅くなった顔に、白珠(しらたま)のような汗をながして、道の笹の根につかまった。

「でも、これくらい」

と鈴虫は、喘(あえ)ぎながら、強いことをいって、自分でも、おかしくなったとみえ、

「ホホホホ」

被衣(かずき)で、汗をふいた。

後から登ってくる者が、どんどん先へ追い越してゆく。

そのたびに、ふたりは、自分たちの足の弱さや、日蔭と同じような後宮生活の不自然さを、自身の皮膚や心臓に省みて、

(毎日、こんな山や、空や、自由な風のふく所で汗をながして働いていたら、どんなにいいだろう、生きがいのあることだろう)と、思うのであった。

「あれ、鐘が鳴っています。――松虫さま」

「ほんに。……もう別時念仏の法筵(ほうえん)が始まったのでしょう」

「行きましょう」

汗の歓びだった。

足のつかれも欣びだった。

ふだん絹につつまれて、帳(とばり)と奥に、弱々しい生活をしている皮膚が、たまたま、ほんとの生活力を起して爽快な山の風に触れたのである。

自然の大気に吹かれたのである。

――ふたりは、鹿ケ谷へゆく道が、どれほど高くても、難路であっても、苦痛なでということはまるで考えないような様子であった。

「オオ……」

法勝寺の前へゆくと、もうそこは、いっぴの人であった。

堂の上も、堂の下も、また廻廊の隅まで。

すると、鈴虫が、

「おや、あそこに――」

と誰のすがたをみつけたのか、松虫へ顔をよせて、微(ほほえ)

みながら指さした。