「ね……あの御堂(みどう)の端に。……来ているでしょう」
「どなたが」
「坊門の局(つぼね)が」
「あ……ほんとに」
「局のわきに、まだ、三、四人ほど局の女房たちがいるようです」
「え……」
「あの方たちは、いつでも、ここへ来ていると見えますね。御僧たちと、何か、親しそうに話していますもの」
二人が、外にたたずんで、こう囁き合っていると、やがて、御堂のうちの群集は、だんだん席をつめ合って、そのうちから親切な者が、「さ、外に立っているお人は、順々に、お入りなさい。――坐れますよ」
鈴虫は、松虫の顔を見て、
「どうします?」
「上がってみましょうか」
「え、え」
二人は、大勢の人いきれに、何かしら含羞(はにか)みと、恐(こわ)さを抱きながら、そっと、隅の柱の下(もと)へ、坐っていた。
まばゆそうに正面を見る――
そこには、戸外(おもて)の大地を焦(や)いている大夏(たいか)の太陽にも劣りのない旺(さかん)な仏灯(みあかし)が、赫々(かっかく)と燃えていた。
ふたりは、内陣や宝前の整いには、何も驚きを感じなかったが、その灯の色と、ここにぎっしり詰め合っている庶民たちの熱心な眼に驚いた。
(こんなにも、世間の人は、法然上人の話を聞きたがっているのかしら?)と、ふしぎな疑いさえ抱いていた。
そして、軽い気まぐれに、遊山(ゆさん)の足のついでに、こうして、紛れこんでいるような自分たちが、悪いような、済まないような、気咎(きとが)めを、ひそかに感じた。
「ああ、涼しい」ふと、鈴虫がつぶやいたので、松虫も、そういえば自分の肌の汗もいつかひいて――と気がついた。
(何という涼しさでしょう)しみじみと、目を細めて、彼女もそうつぶやいた。
濤(なみ)の音に似ている樹々の風が、ここへはいっぱいに吹きこんでくる。
松の青々としたにおいが鼻にも感じられる。
そして、宝前にゆらぐ星のような無数の灯のまたたきまでが、すずしげに見える。
十名ほどの僧が出て、背をならべて、誦経(ずきょう)していた。
磬(けい)の音(ね)が、谷までひびいて行った。
そして、谷間からも、経の声と、磬の音が、谺(こだま)になって返ってきた。
――いつとはなく。
――また、誰からともなく。
念仏の唱和が起っている。
な、む、あ、み、だ、ぶつ。
――と六音のうちに、何百何千の人間のたましいが一声ごとに洗われてゆくように、そして、無碍(むげ)、無我――から無心にまで澄んでゆくように、樹波(きなみ)の声のうちに、くりかえされているのだった。
「…………」鈴虫は、ぽかんとしていた。
そして、松虫の顔をそっとのぞいて、
(帰りましょうか)というような眼を向けたが、松虫が、どこかを、じっと、見つめているので、こらえているかっこうだった。
(念仏宗というものは、こういうものか?)
と、松虫のほうは、ちょっと、好奇に囚(とら)われて、初めのうちは、それを傍観者のように見ていたのであるが、気がつくと、自分のすぐ側にいる若い女房も、老婆も、また、町の男たちも、等しく、胸に掌(て)をあわせて、一念に称名(しょうみょう)しているので、自分だけが、この広い御堂のうちで、空虚を作っているように思われて、何だか、取り残されたような心地であった。
※「磬(けい)」=玉または石で「へ」の字形に作り、吊して打ち鳴らす楽器。仏具として用いるものは青銅製で、鉄製のものもある。勤行(ごんぎょう)の際、導師が打ち鳴らした。