浄土真宗の教団においては、よく「親鸞聖人の生き方に学ぶ」ということが言われます。
一応、その意図することは分かるような気がするのですが、「どのようなことですか」と問われると、実のところうまく説明することができなかったりします。
では、「親鸞聖人の生き方に学ぶ」というのは、いったいどのようなことなのでしょうか。
親鸞聖人は平安時代の末期(1173年)から鎌倉時代の中期(1263年)まで、90年のご生涯を生きられましたが、ご自分の事柄についてはほとんど記しておられません。
そのため経歴については不確かな点が少なからずあり、大正期には実在したかどうか史学者から疑問視されたこともありました。
なぜ、親鸞聖人はご自分の身におきた様々な事柄について述べられなかったのでしょうか。
それはおそらく、どういう家庭で生まれ、どういう生活をして、いつ結婚をし、何人子どもがいて…というような、私たちが関心を向けがちな事柄は、誰もがそれぞれの縁にふれ営んでいる生活の姿であるため、特に語るべきこととは思っておられなかったからだと考えられます。
ただし、親鸞聖人がご自身のことを明確に述べておられる出来事が一つあります。
それは生涯「よき人」として仰いで行かれた師・法然聖人との出会いです。
このことを、法然聖人にお会いしたとは直接書かれず「然るに愚禿釈鸞建仁辛酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す(愚かな親鸞という一人の人間はいろいろな世界に迷い、いろいろな道を自分で行ってきたが、そのあり方を一転して本願という本当の願いの世界に帰ることができた)」という言葉でもって、その出会いの意義を記しておられます。
29歳の時に法然聖人にお会いしたということが、いかに大きな出来事であったかということは、親鸞聖人の言葉が書き留められた『歎異抄』やご自身が著された『和讃』において、それがいつでも新しい感激として述べられていることから知られます。
それは、親鸞聖人の一生の全体が、法然聖人に出会いその教えを聞き続けるような一生であったというところに、親鸞聖人自身の感激があったということです。
親鸞聖人が法然聖人に出会われた感激を、90年のご生涯の中で自身に関わることの中でただ一つ記されたということは、法然聖人の教えを通して、自身が人間に生まれたことの尊さに目が開かれ、そのことによってどのような人生を歩むことになろうと、その人生の全体がいかに尊いものであり、価値のあるものかということを確かめ、頷きながら生きてゆかれたということを物語っています。
私たちは、誰もが今こうして生きていますが、一応生きてはいるものの、本当に生きているということを自ら確かめたことがあるでしょうか。
私はたちは漠然とではありますが、いつかこのいちのは終わるものだと知っています。
けれども、いつその終わりの時が来るか知り得ません。
そうすると、このいつまで生きられるか分からない人生というものにあって、本当に生きて良かった、人間に生まれたことは尊く有り難いことであった、私が私に生まれたことのいのち訳について頷き心から喜んでいる、そういう世界に目を開いたことがあるでしょうか。
親鸞聖人が法然聖人に出会うことによって得た感激とは、本当の意味で自分が自らの一生を託し切っていくことのできる真実の教え(真宗)に遇うことができたということです。
つまり、親鸞聖人は法然聖人に出会うことによって真宗に目が開かれ、初めて自分の一生がこれほど尊く価値のあるものであったということに目覚め、それを通して自分の人生を新たに確かめることができたのです。
それは言い換えると、親鸞聖人は法然聖人に出会うことによって真宗に遇うことができたのだと言えます。
親鸞聖人は法然聖人がどうのような方出あるかということを学ばれたのではありません。
法然聖人の教えを通して、真宗を学ばれたのです。
そうすると、私たちにとって「親鸞聖人の生き方に学ぶ」ということは、親鸞聖人の明らかにされた道を通して、私自身の真宗を学ぶということだと言えます。
それは、真宗というものを知識の対象とするのではなく、むしろ私自身の心の内側に、人生の本当の意味を聞き開き、見開いてていくということにほかなりません。
では、「真宗を学ぶ」とはどのようなことなのでしょうか。
それは次の機会に考えたいと思います。