「お吉っ、お吉っ」
朱を捺(な)すったような顔に、青すじを膨らませて、河和田の平次郎は、こよいも、仕事袴も脱(と)らずに、帰るとすぐ膳の酒に向ってまた例のわめきだった。
「やいっ、いねえのか」
暮れたばかりのほの暗い所では、お吉が、何か野菜でも刻んでいるらしく、細かい庖丁の音がしていた。
「はい」
答えると、
「だって今、おまえさんが、漬物を持ってこいとおいいだから、漬物を出しているんじゃありませんか」
「べら棒め、漬物を出したって、酒のほうがもう空っぽだ。酒はあるか」
「ま、もうおしまいですか」
「買ってこいっ。……何かそこらの物を持って行って、市で叩き売ってしまうなり、借りるなりして、酒を持ってこい」
「そんな算段をしないでも、もッと召し上がるなら、お酒はまだたんと買ってございますから、安心しておあがりなさいませ」
「ふうむ……このごろはいやにいつでも断(き)れたことがねえな。いったい、その酒の金はどうしているのだ」
「ですから私が、あなたの寝た後も、昼のうちも、こうして一生懸命に、機を織ったり、櫛を削ったり、賃仕事をしているではございませぬか」
「普請場の網ッ引きには出ず、説教を聞きにゆく様子はなし、歯の浮くような念仏もふッつり止めて、このごろは気味のわるいように嫌に素直になりやがった。……やッパリ女って奴は、時々、半殺しの目に会せてくれるのが薬だとみえる」
「さ、暖めて参りました、お酌(しゃく)をいたしましょう」
「ばかっ」
一口飲んで、
「何だ、まだぬるいじゃねえか。酒飲みの亭主を持ったら、酒の燗(かん)ぐらいはおぼえておけ」
「すみません、暖め直してきますから」
「いいいい。後のやつを、もっと熱くしておくんだぜ。それに、肴といやあ、毎晩、芋か蓮根だ。あしたは弓を持って、裏山の小鳥でも猟って焼いておけよ」
「いつも、そう思いながら、つい織仕事の暇も惜しいものですから」
「云い訳は止せ、酒がまずくならあ。気のきかねえ阿女(あま)を嬶(かかあ)に持つと、こうも世話が焼けるものかなあ」
「さ、こちらのが燗きました。熱いのをお酌(つ)ぎいたしましょう」
「熱ッ。……どじめッ、こぼさねえように酌げねえのか」
「あ、かんにんして下さい」
「う、うーい」
平次郎はおくびをしながら、
「ここんとこ、久しくこの腕ッぷしを振り廻さねえから、癇の虫が退屈しやがって、なんだかこううずうずしているのだぞ」
「あまり過ぎると、体にこたえますし、あしたの仕事もありますから、もう横になってお寝みなさいませ」
「この横着者め、おれを寝かせて、てめえも早く楽をしてえのだろう。……ま、まだいくらも飲んじゃいねえ、もう少し燗けてこい」