さつまの真宗禁教史 1月(前期)はじめに

ご承知のように薩摩藩においては、真宗(一向宗)が江戸時代300余年間一貫して禁止されました。

また明治2年(1869)の廃仏毀釈においては全仏教寺院1066ヵ寺が廃絶されました。

それは日本の歴史上他に類を見ない宗教の展開でした。

そこで当稿では、

  • 薩摩藩はなぜ真宗を禁止したのか?
  • 取り締まり状況はどのようなものであったか?
  • その間、門徒はどのような行動をとったか?

・本願寺は薩摩藩の真宗禁止政策と門徒にどのように対処したのか?

等々、「さつまの真宗禁教史」と題してさまざまな問題を紐解くことにしました。

それは人間にとって「思想信教の自由」がいかに大切なことか、また政治と宗教の関係はいかにあるべきか等々、現代的課題にも示唆する点も多いことでしょう。

ご叱正、ご教導のほどお願いいたします。

それにさきだち語句の共通認識をお願いいたします。

まず島津領の藩名は“鹿児島藩”ですが“薩摩藩”も広く親しまれていますので適宜両藩名を使用したいと思います。

その地理的範囲は薩摩国・大隅国と日向国(宮崎県)西諸県郡の三ヵ国です。

“念仏”は浄土宗や時宗の念仏なども流布していましたが、ここでは真宗の念仏を意味します。

“真宗”は古くは“一向宗”と呼ばれていましたので、当稿では文章の流れに応じて両呼称を使い分けます。

また江戸時代の門徒の大半は西本願寺(本願寺派)に所属していましたので、特に注記しないときは西本願寺を指します。

まず以上の事柄を確認しておきたいと思います。