子どもの頃から本を読むのが好きでした。
幼年期は、グリム、アンデルセン、イソップなどの童話を何度も読み返したものです。
また、それらに加えて親しんでいたのが、お釈迦さまの生前の物語と伝えられるジャータカ物語です。
その中でも「偉大な猿王物語」は、とても印象深いものでした。
この物語が伝えようとしているのは、仏教が理想と考えている政治論ということになるらしいのですが、子ども心に記憶に残ったのは「ほっぺたがとろけるほどおいしい」と形容されていた「マンゴーの実」についての記述でした。
果物といえば、バナナ・イチゴ・リンゴ・ミカン・パイナップル・メロンなどはよく目にし、また口にする機会もありましたが、マンゴーは見たことも食べたこともなかったので、私の中ではいつの間にか物語に登場した「幻のくだもの」という位置付けになっていました。
なぜ、他の果物のように目にすることがなかったかというと、一般に受粉を手助けすることの多いミツバチにとって、マンゴーの原産地である熱帯地域は気温が高すぎるため、マンゴーの受粉はハエが担っています(日本のハウス栽培では、受粉を助ける昆虫としてミツバチをビニールハウス内に飼っています)。
そのため、日本では植物防疫法によって侵入を警戒する農業大害虫のミバエ類が発生している国・地域からのマンゴーの生果実の輸入は原則として禁止していました。
これが、なかなかマンゴーを目にすることがなかった理由です。
しかし、輸出国において果実に寄生する対象であるミバエ類の完全殺虫処理技術等が確立されれば、各国より申請された品種について日本側(農林水産省)が検討し、問題が無いとの結論に至ったものは殺虫処理などの条件を付して日本への輸入が認可されるようになりました。
この条件付き輸入解禁により、1990年代後半ごろから全国のスーパーなどの小売店で、フィリピン産などのマンゴー果実が安価で売られ、また菓子などの加工物の原材料としても幅広く用いられるようになりました。
そこで、一気に熱帯産果物の一種としてマンゴーが日本の社会に浸透するようになりました。
けれども、輸入が解禁されてからもマンゴーの知名度はそれほど高くありませんでした。
それを一躍有名にしたのは、宮崎県知事だった東国原氏が最高級の完熟マンゴー『太陽のタマゴ』のキャッチコピーで宣伝した時でした。
私もその時に、子どもの頃に本で読んで以来、自分の中では「幻の果物」と思っていたマンゴーが実在したという事実に直面し、とても驚いたことを覚えています。
ただし、安価なフィリピン産などについての知識を得る以前に、「最高級の…」という宣伝文句で知ってしまったことから、しばらくの間「マンゴーは容易には口にできない果物」と勝手に決めつけていました。
そのような訳で、マンゴーの味を初めて味わったのは本物の果実からではなく、マンゴーゼリーによってでした。
それから数年を経て、近年になってようやく食事のコースのデザートで、初めて本物を食べることができたのですが、子どもの頃に本を通して知って以来なかなか目にすることがなく、いつの間にか自分の中では「幻のくだもの」になっていたマンゴーを初めて口にした時は、「これが、子どもの頃に本で読んだあの“ほっぺたがとろけるほどおいしい”と形容されていたマンゴーか」と、感慨深く食べたことでした。
今では、マンゴージュース、マンゴープリン、マンゴーゼリーなど、マンゴーは果実そのものでなくてもそれに近い味を安価で口にすることができます。
子どもの頃から長い間、自分の中では「幻のくだもの」だったマンゴーが実在の果物であり、しかも容易に味わうことができるようになったことは、とても嬉しいことなのですが、その一方、あまりにも安易に口にできるようになったことで、マンゴーに抱いていた特別感みたいなものが消えてしまい、一抹の寂しさのようなものを感じてしまうこの頃です。