2019年8月法話『お盆 亡き人を偲び語り継ぐ』(前期)

私には102歳になる祖母がいます。最近急激に力が落ちました。それまでは地域の方も驚くほどに元気で、報恩講や永代経といった法要では必ず本堂に顔を出して熱心に仏さまの話を聞いて「ナンマンダブ、ナンマンダブ」とお念仏する、そんな祖母でした。

しかし、ひょんなことから入院し、そこでリハビリを拒みました。3週間もベッドに横になっておりましたので、もう歩くことはできません。現在は寝たきりの状態で「しんどいわ」と言いながら生活しております。あんなに元気だった祖母が坂道を転がるように体調が崩れていく姿に、ただ現実を突きつけられる思いです。ベッドの上で弱っていく祖母を見ながら、もちろん寂しい気持ちもありますが、私にはこの姿が阿弥陀さまと一歩一歩浄土へ帰っていっている姿にしか見えず、実は嬉しさも感じています。

阿弥陀さまのお家を浄土といいます。阿弥陀さまは、浄土こそが私たちが本当の幸せとなれる場所であるから、必ず連れて帰るとはたらいてくださいます。阿弥陀さまにとって浄土は帰り道。だから迷うことなく必ず連れて帰ってくださいます。

最近、祖母とこんな会話をしました。

祖母「最近、磐山さん(50年前になくなった夫)の夢をみるの」

私 「そっか。もうすぐ(浄土で)会えるね。」

祖母「(笑いながら)そうだね。」

私 「(冗談交じりに)50年も経っていたら、おじいちゃんはおばあちゃんのことわかるかな?」

祖母「(笑いながら)だいぶ歳をとったけれども、きっとわかるでしょうよ。」

私「そうだね。仏さんの方はいつも見守っているんだもんね」

祖母「うん。」

そんな会話をしながら、私たちはお盆を迎えようとしています。

浄土真宗におけるお盆は、地獄や餓鬼道にいるご先祖やこの時期ばかり帰ってくるご先祖を偲ぶのではなく、先立った方々が参られた“浄土”・これから私たちも参らせてもらう”浄土”を偲び語り合うご縁であります。

称名