烏骨鶏(うこっけい)

烏骨鶏(うこっけい)を飼い始めて初めての冬を迎えました。

毎朝まだ暗いうちから鳴き始め、ちらりとでも私たちの姿が見えると、どこから餌が降ってくるかと右へ左へ大騒ぎ。そして餌をやると、頭を上げること無く一心に地面をついばんでいます。

「鶏は貪りの象徴である」と聞きました。ずっと観察していると、お釈迦様のその言葉通りだなと言う出来事に出会います。

初めての夏。

暑さに参ったのか一羽の雌鶏が目を閉じて立ったまま動かなくなりました。

そのうち座り込み、私はやっと具合が悪いことに気づきました。

口元まで水を運ぶと一口二口飲みました。

それから餌場まで行き餌をついばみ始めたので、安心しました。

しかし次の瞬間、なんと弱っている雌鶏の背に雄が乗り、素早く交尾をしたではありませんか。

あっという間の出来事で、その浅ましい姿に言葉も出ず衝撃を受けたまま一部始終を見守ったのです。

そこで力尽きた雌鶏は、一声「クワーッ」と鳴くともう二度と頭を上げること無く息絶えたのでした。

仲間の鶏たちは息絶えた雌鶏をつつきました。

そして動かない鶏に足で砂をかけ始めました。

鶏たちに弔いの気持ちがあるのかは分かりません。

しかし本能的なその姿の残酷さは、時に人間に重なって見えてしようがありませんでした。

その雌鶏が亡くなってから産まれる卵の個数が減りました。

きっとたくさん卵を産んでいたお母さんだったのかもと、娘と話すことでした。

その娘が夏休みに「卵から雛を孵したい」「それを自由研究にしたい」と言うものですから、本やインターネットで調べてやってみました。

本の通りに、卵を抱いて21日目で、なんと雛に孵ったのです!

その卵は、あの雌鶏が亡くなる前から抱いていたものでしたので、もしかしたら生みの親はあの亡き雌鶏だったかもしれません。

育ての親鶏が、雨の日も我が身を濡らしながらも。ずっとお腹の下で雛を守ってきました。

そうして大きくなった雛は、立派に成長してたまごを生むようになります。

このような命の営みを間近で見れること、便利な世の中になったからこそ大事にしたいと思います

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。