死刑制度の是非について

死刑廃止は世界の潮流と言われていますが、日本は主要先進国で死刑制度を維持している数少ない国の一つです。その理由として、内閣府の世論調査によれば、死刑を容認する人が8割余りと依然高水準で、廃止を求める人は1割程度にとどまっていることが背景にあると考えられます。

死刑制度の廃止を支持した人が挙げた理由(複数回答)は、「裁判に誤りがあった時、死刑にしたら取り返しがつかない」(46.6%)、「人を殺すことは刑罰であっても人道に反し野蛮」(31.5%)、「死刑を廃止してもそれで凶悪犯罪が増加するとは思わない」(29.2%)、「凶悪犯罪者でも更生の可能性がある」(28.7%)などです。

これに対して、死刑容認を支持した人が挙げた理由(複数回答)は、「死刑を廃止すれば、被害者やその家族の気持ちがおさまらない」(53.4%)、「凶悪な犯罪は命をもって償うべきだ」(52.9%)などでした。

また、同調査では仮釈放のない「終身刑」が新たに導入された場合の死刑制度の存廃についての質問項目があり、これに対しては「(終身刑が導入されるなら)死刑を廃止するほうがよい」が37.7%、「(終身刑が導入されても)死刑を廃止しないほうがよい」と、死刑の存続を支持する人が半数を超える51.5%いました。

法務省はこうした世論調査結果などを踏まえ、「死刑制度を廃止すべきではない」との立場をとっているため、1989年に国連総会で採択された自由権規約の第2選択議定書(死刑廃止議定書)にも未署名・未批准です。

しかし、国内では死刑制度をめぐる議論や、死刑廃止を求める運動が続いている他、1994年には超党派の「死刑廃止を推進する議員連盟」が発足し、同議員連盟は無期刑のうち、刑期途中での仮釈放の可能性を認めない「重無期刑」創設をめざす動きを見せています。「重無期刑」というのは終身刑に当たるもので、受刑者に社会復帰の可能性を与えず、その刑期が一生涯にわたるというものです。

一方、2000年代以降から被害者及び被害者遺族の権利や心情を重視する考え方や、厳罰化による犯罪抑止を求める意見などが支持を集めています。厳罰化という点で言うと、近年社会問題化している「あおり運転」について、警察庁は道交法を改正してあおり運転を詳細に定義し、罰則を創設する方針を自民党の交通安全対策特別委員会で明らかにしています。この法改正が施行されれば、あおり運転は違反1回で15点以上として免許は即取り消し、再取得までの欠格期間は1年以上、罰則は懲役刑も想定していると報じられていますが、これは悪質犯罪に対する厳罰化の流れを踏襲したものと考えられます。

実は、日本では犯罪件数そのものは減少傾向にあり、近年は殺人発生件数・発生率ともに過去最少を更新しています。それでも、連続児童殺傷事件など世間に大きな衝撃を与えた凶悪犯罪も散発しており、凶悪犯罪に対する市民感情の悪化もあり、厳罰化を求める世論の声はなお強いといわれています。

そのような中、「死刑制度の廃止」について、深く考えさせられる報道を目にしました。それは、

「出所したらまた殺す」 新幹線殺傷男23歳が法廷でした衝撃の“再犯宣言”

という見出しです。2018年6月に東海道新幹線内で乗客3人を殺傷し、殺人罪などに問われた23歳の男性被告の裁判があり、同被告は、初公判で起訴内容を問われると「窓際にいる人を殺そうとしましたが、残念にも殺し損ないました」「止めに入った人を、見事に殺し切りました」などと述べ、法廷内の全員を驚愕させました。さらに、裁判の中で、検察官が凶器のナイフとナタを示して「これはもういりませんね」と問いかけると、それに対して「もう曲がっているし、有期刑になって出所して、また人を殺す羽目になったら新しいものを買う」と語りました。つまり、「出所したらまた殺す」という前代未聞の再犯予告発言をしたのです。

検察官によると、被告はイジメを受けるなどして仕事を辞めた後、養子縁組をした祖母の家で暮らしていましたが、1人で生きていくのは難しく「刑務所に入りたい」と考えるようになりました。そして、祖母宅を家出して野宿生活を送る中、心配した祖母から「いない存在だと思えばいいのかね。とにかく帰ってきなさい」という電話を受けたところ、それを曲解して「養子縁組を解消される」と思い込み、有期刑で社会に戻るのではなく、一生を刑務所で暮らす無期懲役を狙って赤の他人を傷つけたのだというのです。しかも「死刑にならないように、殺す人数も考えてやった」とも述べました。

日本では罪を犯して刑務所に入った人たちの立ち直り(改善更正)を目指して服役させていますが、被告は社会復帰を目指すのではなく、むしろ一人では社会生活ができないので、見知らぬ誰かを無差別に殺傷して刑務所暮らしすることを希望しています。このように、刑務所で暮らすことを目的として無差別に殺傷を犯した者に対して、私たちはどのように対処すればよいのでしょうか。

現状では概ね二つの量刑が考えられます。一つめは、不慮の事故とかではなく、自己中心的な願望を達成するために明確な意志を持って殺傷したのだから、その罪は自らの死を持って贖うべきだとする「死刑」。二つめは、どのような罪であろうと死刑ではなく、終身刑務所から社会に復帰できないようにする「無期刑」が考えられます。今回の事件の場合、国民感情からすれば、大半の人が前者を支持するのではないかと思われますし、後者を支持する人の中にも「再犯宣言をしているのだから絶対に社会復帰させないこと」を条件にする人が多いのではないかと思われます。また、もしかすると死刑反対論を展開する人たちも、このような動機で殺人罪を犯した者のことまでは想定していないのではないでしょうか。

この裁判で、検察側は「計画的な無差別殺人。反省の態度もみじんもない。死刑もあり得る事案」と主張する一方、「公正な求刑の観点から死刑は妥当とは言い切れない」と無期懲役を求刑し、被害にあった女性は「犯人は自分の犯した罪をいのちで償うべきで、犠牲になった男性には罪悪感を抱いている」と証言しました。 一方、弁護側は「被告が無期懲役を望んでいる特殊さに流され、公平さがないがしろにされてはいけない。過剰に重い刑罰にするのは適切ではない」と訴えていました。

裁判員裁判の結果は、検察の求刑通り「無期懲役」という判決が下されました。裁判長は「自己中心的で身勝手な動機から、何の落ち度もない人を殺害し、命を軽視した犯行」と断じたうえで、「刑務所に服役することで犯行と向き合うことが相当と判断した」と量刑理由を述べ、判決に不服がある場合の控訴手続きについて説明したところ、被告はその説明を遮るように「控訴はしません。万歳三唱をします」と発言し、裁判長の制止を無視して万歳をしました。

被告は初公判で起訴事実を認め、その後の審理中には「(刑務所に入るのが)子供の頃からの夢だった」「無期懲役になって刑務所に一生入りたかった」などと供述していました。したがって、今回の裁判結果は被告の意図した通りの結果になったのですから、被告本人にとってはまさに「勝訴」ということになってしまいます。

この被告によって傷をおわれた二人の女性、女性を助けようとして殺害された被害者の男性、そしてその遺族の方々の心中を推し量ると、この事件に関しては、「犯人の思い通りになった判決結果」に対してやりきれない思いがします。

求刑が「無期懲役」だった時点で、すでに「死刑」の可能性はなかったわけですが、少なくともこの事件については、その動機さらに被告の裁判所での言動から、「死刑」が求刑され、そして「死刑」の判決が下されたとしても、私は「反対」とは言えない気がします。

また、今回の裁判結果が、この被告の後に続くような人間を生み出さないことを願うばかりです。

最後に、この事件で犠牲になられた勇気ある男性の方に心から哀悼の誠を捧げたく存じます。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。