ハートフル講話録 1月「仏さまってなあに? どうして阿弥陀さまに手を合わせるの?」 (後期) お釈迦さまと阿弥陀さまはどう違うの?

人は生まれたら歳をとって、病気になって死んでいかなければなりません。これを一番のテーマにされたのがお釈迦さまです。歳をとって病気になって死んでいくことにも尊い意味があるということを見出されたのがお釈迦さまであり、悟った仏さまなのです。

お釈迦さまと阿弥陀さまはどう違うのか。浄土真宗のお寺にはご本尊である阿弥陀如来が安置されています。基本的にお釈迦さまは安置されておりません。皆さん、阿弥陀さまとお釈迦さま、親鸞聖人の区別ができますか。私は中高生に質問するとき、まず「お釈迦さまはどの国の人?」と聞きます。インドですね。親鸞聖人は日本人です。阿弥陀さまについてはインド人、中国人、宇宙人、日本人など、答えはさまざまですが、どれも間違いです。阿弥陀さまは人間ではありません。「わからない」で正解です。私は「阿弥陀さまは真実のはたらきそのものだと受け止めてみてください」と言います。

阿弥陀さまは、私たちを真実に導いてくださる真実のはたらきそのものです。でも、真実のはたらきといっても私たちにはよくわからないので、その真実のはたらきが人間の姿として現れてくださったのが阿弥陀さまであると理解してください。

阿弥陀さまは目で見るのではなくて聞くことによって遇えます。「阿弥陀さまって、どういう仏さま?」って聞かれたら、私は「すべての人を必ず救うと願いはたらいてくださっている仏さまです」とお答えします。良いことをしている人を救い、悪いことをしている人は救わないということは私たちの発想でわかる教えです。しかし、良いことをしている人も悪いことをしている人も平等に救われるということはよくわからないのです。ですから、親鸞聖人は阿弥陀さまのお心を「不思議」とか「不可思議」という言葉で表されています。この不思議というのは怪しいという意味ではなくて、私たちの思議が不可能、私たちの思いが及ばないということです。

普通の宗教は「裁きの宗教」です。悪いことをしたら救われないので分かりやすいです。しかし、阿弥陀さまの救いは良いことをしている人も悪いことをしている人も平等に救われます。これは「慈悲の宗教」です。「慈悲」というのはすべての人を平等に慈しんでくださるお心です。

「そんなことをしたら罰があたるよ」と言われた経験がありませんか。私は浄土真宗のお寺でうまれ育ったので、私の親は私が悪いことをしたときに「罰があたるよ」とは言わずに「そんなことをしたら仏さまが悲しまれるよ」と言いました。これは受け取る世界が違うと思いませんか。「罰があたるから悪いことをしたらいけません」という厳しさが必要なときもありますが、悪いことをしても良いことをしても平等に救う仏さまは、悪いことをしていたら悲しまれるのです。その悲しみに出遇うことによって私が正しい道に導かれていくということもあります。

阿弥陀さまは私たちのあり方を見て悲しまれています。悲しいという字は分解すると「非ずの心」です。阿弥陀さまが私たちを見て「そうじゃないよ」と、目にいっぱい涙をためて、なんとかしてやろうという心、その阿弥陀さまの心に出遇うことによって、少しでも阿弥陀さまを悲しませない生き方をしていこうと、それが浄土真宗のみ教え、阿弥陀さまの救いに生きるということなのです。

人間であるお釈迦さまが、悟りを開いて、その真実のはたらきを阿弥陀さまのお心として私たちに伝えてくださいました。お釈迦さまが阿弥陀さまのことを私たちに説いてくださったのだと受け取ってもらえたら良いと思います。