浄土真宗の救いとは

だれもが安心して暮らしたいと思いながら、なかなか上手くはいかないものです。

 

ある先生が、ご法話で幽霊の話をしてくださいました。「幽霊には3つの特徴があります。1つは髪が長い。2つには両手が前に垂れ下がっている。3つは足がないと言うことです。1つ目の髪が長いというのは、過去に囚われていることを表しています。2つ目の両手が前に垂れ下がっているのは、未来を憂いでいる姿を表しています。3つ目の足がないのは、過去に囚われ、未来を憂いでいて今を生きていないことを表しています。東京や大阪などの都会では特に、今を生きずにフラフラしている幽霊を私はたくさん見るのです」と。

 

安心して今を生きたいと思っていても、不安のなかを行ったり来たりして今を生きることができず、まるで幽霊のようにフラフラしてしまうのが私たちではないでしょうか。

 

安心は心をどこに置くかがポイントなようですが、1月半ばの新聞には、小さい記事で中国の武漢という街で原因不明の肺炎が50人とありました。あれからわずか5か月で、四つ角を取られたオセロが白から黒に変わってゆくように、世界は一瞬にして変わってしまいました。誰があの小さい新聞の記事を見てこんなことを予想したでしょうか。こんなにも簡単にひっくり返ってしまうこの世界には安心して心置ける場所はないことを気づかされたことでした。

 

親鸞聖人がよろこばれたのは阿弥陀さまのお救いでした。阿弥陀さまは不安を抱える私たちをそのまま引き受け、偽りの世界の中では出会うことのないような安心を与え、必ず浄土に生まれさせるとはたらいていらっしゃる仏さまです。そのはたらきだけはひっくり返ることがなく私たちを支えてくだいます。

 

「慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て」

 

親鸞聖人のお言葉です。阿弥陀さまのはたらきを大地にたとえて、すぐにひっくり返ってしまうこの世界にあって、ただ一つ安心して心を置ける場所があったと慶ばれました。

 

そういう拠り所のある生活こそが浄土真宗の救いではないかといただいています。