一水四見

「28文字の片づけ」(yur.3著・主婦の友社発行)という本に出会って、断捨離を心がけています。いつか、使うだろうと思って取っていても、全く手にするすることないものなどがあふれて居ました。そこで、断捨離していくと、部屋にスペースが増えていき、何だか心にもスペースができてくるようで気持ちがいいです。

あるとき、子どもの物をよかれと思い断捨離しましたら、もめ事になってしまいました。私にとっては、いらないものでも、子どもにとっては必要なものだったのだと思います。

本の中の一説で

「他人のものを捨ててはいけない。
~好みも管理も持ち物のキャパも違う
自分以外の誰かの物を
自分の秤で捨てられないし、捨ててはいけない。
喧嘩のもと。~」

とあり、頷かされ、反省することでした。

仏教の考え方の一つ『唯識』の言葉で、「一水四見(いっすいしけん)」というものがあります。「水」を見る場合でも、立場によって四つの様相があることを表しています。

人間は水を見ると、そのまま水と認識します。これを魚が見ると、自分たちの住処に見え、天人が見ると宝石で飾られ輝きを放つ池に見え、餓鬼には膿血で充満した河に見え、飲もうとした瞬間に火に変わりからだを焼きこがず苦しみの存在に見えたりするというのです。

一口に水といっても四つの見方に見える。つまり、同じものでも見る立場や心のもちようによって違うように見えてくるという意味です。これは水に限ったことでなく、全てのことに当てはまることと思います。

私たち人間は、育った環境や境遇、経験したこともそれぞれ違います。ですから、独自の世界観や価値観、考え方を持っています。そして、それが「私のものさし」となって物事を認識しているといえます。

そのため、同じ物事を見る場合でも、見る人によって見え方や受け止め方は様々です。

「一水四見」・・・私一人のものさしが全てではないし、真実でもない。それぞれに受け止め方があることへの気づきと、それを踏まえて生きていくことを心がけていきたいと思うことです。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。