小学校教諭・保育士の資格を持っている縁で、放課後児童支援員として関わっています。今年度は、昨年以上に預かる人数も増え、48名の児童が同じ教室内で過ごすという劣悪な環境であるためトラブルの耐えない毎日です。
そんな中、早速盗み癖のある女の子によるトラブルが起こりました。ある日、両親とともに「クラブのおもちゃを持って帰っていた」と謝りに来てくれたことで発覚したのですが、理由を聞くと「まだ遊びたかったから」というので、「正直に話してくれてありがとう。でもほかのお友達も遊びたいし、それはクラブのおもちゃだから持って帰らないでね」という約束をして帰しました。
しかし、それからも何度かその子が引き起こしたのではないかと疑われる出来事があり、しまいには「実習の先生のバックの中の財布に触れたと」いう話を聞きました。いくら小学生とはいえ、そのような悪癖は今のうちに直さなければ、将来罪を犯すことにつながりかねません。専門機関、もしくは医療機関での治療が必要なのではないかと思いました。
そんなことを考え始めた頃、第三者に相談し支援の様子を観察してもらう機会に恵まれました。しかし、ご覧になった先生によれば「盗み癖が見られなくなっても、また違う形で問題行動が起きたときの方が怖い」とのことでした。もしその通りなら、「盗み癖は、そのまま放置しておいても良いということ?」という疑問と、「いや、そうはならないはずだ」という希望とが交錯する悶々とした気持ちの中で、日々その子に向き合っていました。
その子の言動の一部始終を観察していると、会話の中から「おうちでは、誰も見ていないからばれないよー」というフレーズが飛び出してきました。一瞬耳を疑ったのですが、小学生の低学年でも「誰も見ていないなら悪いと知っていることでもやっていい」と、思っているのだということが分かりました。
それと同時に、この感覚を保持したまま成長していくと、責任を問われる年齢になったとき、その行為は明らかに「犯罪」とよばれることになるので、将来新聞紙上に容疑者扱いでその子の名前を見つける可能性があることを想像して、ぞっとしました。
以来「そんなことがあってはならない、今ならまだ間に合うのではないか…」といった葛藤の中で、ふと思ったのは「この子には、自分を見守ってくれている存在というものがあるのだろうか」ということです。
「まんまんさん(仏さま)が見守ってくれているよ」幼少期からそう言われて育ってきた我が子に比べると、なんと不憫なことだろう…と、感じました。
子育てに悩むその子の母親にも一度「見守ってくれている世界がありますか」と、尋ねてみいたいと思います。意外と、それが良い解決策になるような気がしています。