2021年10月法話 『人は弱いからこそ 支えあって生きる』(後期)

人間は、この世に生まれた時からこの世を去るまで、一時たりとも一人で生きることはできません。 特に象徴的なのは、生まれたばかりの赤ちゃんです。例えば、食事を初めとし、一人では何一つできません。そして、そこからこの世の人生が始まります。まさしく、多くのいのちや、家族等に支えられて でしか生きられないのです。

昔から「奪い合えば地獄 分かち合えば極楽」と言われますように、お互いに助け合い、支えあってでしか生きられないのが、この世の姿です。「持ちつ持たれつ」の共生関係といえるでしょう。

令和2年10月21日、南日本新聞に「JT」の全面広告が、カラーにて掲載されていました。 そこには、猿と犬とキジが並んで、共に夕日を眺めている様子がイラストで描かれ、タイトルは<桃太郎は なぜこの三匹を仲間にしたのか> でした。

そして、メッセージとして、 「桃太郎がなぜ、犬、猿、キジという一見バラバラの三者を仲間にしたのか。そこには、桃太郎の明確な戦略がありそうです。おそらく桃太郎は、チームに多様性を取り入れ、ある種のケミストリーを起こ そうとしたのではないでしょうか。最初は合わないこともあったかもしれません。でも心を開き、認め合うことができれば、個性の違いは、お互いを高め合うきっかけになります。違うから、視野が広がる。発見がある。成長できる。強くなれる。これからの多様性の時代に、私たちが学ぶべきことが、そこにはあるような気がします。~違うから、人は人を想う~」

そうです。頼りなく、か弱い「いのち」でも、お互いの個性を認め合うことで「生きる力」「勇気」「希望」を得ることが出来るのです。

そういえば、中国の僧、玄奘(げんじょう)三蔵も、孫悟空をはじめ、猪八戒、沙悟浄と共に、天竺に経典をもとめて旅をし、仏教の経典を中国に持ち帰りました。まさしく、「One for all, All for one」(ラグビー用語)「一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために」の精神です。

組織に置きかえると、一つの目的のために全員が役割をしっかりと果たすことが重要であるとの意でしょうか。「誰が優秀か」などと比較するのではなく、それぞれがポジションを果たしつつチームが一つの目的に向かって機能し、お互いリスペクトし合い、フォローしていく思想、生き方が大切なのです。

さて、仏教が大切にしてきた言葉に、「お育て」があります。信楽峻麿先生(元龍谷大学学長)は、 日本人の感性の面から「そだつ」の原意(日本語の起源)をたずねると、二つあると紹介されています。 一つは「巣立つ」。もう一つは「添え立つ」から来た言葉であるというのです。「添え立つ」とは、例えば、キュウリやトマトなどの野菜を植える時、必ず伸びていく茎を支える「杖」のようなものを立てます。そうしないと、思うようには生長しません。菊の花も「添え木」に結び付けてこそ、美しい菊の花を咲かせます。

振り返れば、私たちは、家族や先輩、友人など、たくさんの方々が私のそばに「添え立って」下さり、支えて下さったからこそ、これまで生きてこられたのです。いろいろな方の「杖」があればこそ、今の私があります。

そのことを仏教では「お育て」と言い、「お陰さま」と頂いてきました。 ここで大切なことは、不安や苦悩の尽きない人生において、何を真の「拠りどころ」「杖」として頼りにするのかということです。

酷なようですが、最も身近な両親や、友人も、私と同じ人間としての「迷い」「惑い」の中にいます。お釈迦様は、涅槃に入る前に「自灯明法灯明」の教えを説かれました。

「これからも仏法を灯明、拠りどころとせよ。そして仏法に基づいて生きる自らを灯明、拠りどころとせよ」と。お互い迷い深い(弱い)者であればこそ、真実の教えを拠りどころに、お互いを尊重しつつ、 支えあって生きて欲しいとのご説法でした。