「デスカフェ レポート」

鹿児島県内の有志の僧侶で、天文館坊主BARを月に1度オープンしています。

コロナが蔓延してからは、オンラインにて行なっています。

7月には特別企画として「デスカフェ」を開催しました。その時感じたことのコラムです。

 

 

毎月16日、夜8時。私は僧侶のファッションに身を包み、ビール3本とつまみを持ってパソコンの前に座る。

1人また1人とパソコンの画面の中に”お客さん”が来店してくださり、パソコンから聞こえる声に耳を傾け、パソコンに向かって話をし、時に笑い、時に悩み、時に涙し、手元にあるビールが空になり、シラフだった私の顔が赤くなっていく。そうやって毎月毎月重ねたオンライン坊主BARも7月で28回目となった。

28回目の坊主BARでは、ちょっと変わった初めての企画を催した。それが「デスカフェ」だった。

 

デスカフェとは、「デス=死」について、カジュアルに語りあうカフェのことで、数年まえから世界中で開かれているらしい。

だいたい「死」というものは、多くの人にとって遠ざけたいものであるから、パンドラの箱にそれを入れて厳重にしまい込み、誰かがそれを開けて死を語ろうものなら、「縁起でもない話をするな」「暗い話をするな」などと怒られる。

しかし、仏教では、「死はパンドラの箱に入れておくことはできない。生と死は紙の裏と表のようにいつも引っ付いているからだ」と教えてくれる。

その教えを受けて、私は、今生きているということは、今死んでいっているということで、今死んでいっていることが、今生きているということであって、生きていく意味を探すことと、死んでいく意味を探すことは同義であると、生と死を受け止めている。

とにもかくにも、仏教的にも、死を語ることは、大事な意味があるから、デスカフェには以前から興味があった。

 

当日は、13名の方が、パソコンの中に来店してくださった。そして、デスカフェをファシリテートしていただく先生として、全国各地でデスカフェをおこなっているワカゾーというお坊さんグループから、霍野廣由さん(覚円寺副住職)をお招きした。

 

夜8時。「乾杯」と声を掛けるとそれに合わせて、みなグラスを持ち上げて画面に近づけ、デスカフェがスタートした。霍野さんに早速マイクを渡す。

霍野さんは、軽く自己紹介をして、デスカフェとは何か、今日どのようなことをしていくのかを、耳障りのいい声で滑らかに伝えた。プレゼンや講演などを何度もやっている人の話ぶりだった。

そして、こう付け加えた。「デスカフェをやっていると気分を悪くして、話すことができなくなったり、その場から離れたいと感じたりいることがあるかもしれません。そういう時は、私がいつもメインルームで待機していますので、いつでもグループを抜けメインルームに戻ってきてください」と。

坊主BARのお客さんの中には、病室から参加してくださる方や、最近大切な方との別れられた方もいらっしゃるので、こういう気遣いが運営側としてはとても有り難く、長いこと自死の相談センターで仕事をしてこられた霍野さんであるからできることでもあり、とても頼もしく感じた。

 

実は、霍野さんと私は同じ歳で、昔からの友達である。私が京都で学生をしている頃、毎週深夜にフットサルを一緒にしていた。だから霍野さんなんて呼んだのは今回が初めてで、いつも”つるちゃん”と呼んでいて、つるちゃんは私のことを”カメ”と呼んでいた。”つるちゃん””カメちゃん”と言いながらパスやシュートをしていた記憶はないが、そんなこともあったかもしれないと思うと微笑ましい。

つるちゃんはそれから素晴らしいキャリアに進み、素敵な方と結婚もした。それをどこか悠々とやってのけている様子だったから、昔からこいつは上手く生きているなと羨ましく思っていた。それが今回、少し尊敬に変わった。

 

さて今回、参加者の方がデスについて話やすいように、つるちゃんが持ってきてくれたアイテムが、「死生観光トランプ」というものだった。つるちゃんたちがアイディアをだして作成したものらしい。

それは少し変わったトランプだった。カードの左上にはガイコツ、幽霊、キャンドル、線香?のいずれかのイラストが入っており、右上には数字がAからKまでのトランプの数字が入っている。このトランプは「ガイコツの3」とか言って使うのだろう。

一際目を引くのが中央に書かれた大きなイラストである。ジョーカーを含めて54枚。すべてに異なったイラストが描かれていて、怖い絵もあるがポップで可愛くオシャレな絵が多い印象。イラストの下にはそれぞれ「世界で唯一、死後婚。フランス」や「葬儀でストリップそんな時代もありました。台湾」「葬儀で泣き叫ぶ職業 泣き女。韓国」などそのイラストの説明が書かれている。カードの右下にはQRコードがあり、これを読み取ると、より詳しいイラストの説明を見ることができる。

要するに死生観光トランプとは、世界各国の今や昔の死生観に楽しげな気持ちで触れることができるトランプだった。つるちゃんいわく、このネーミングは世界各国の死生観を観光するという意味と、世界各国の死生観に光をあてるという意味があるのだー!とかっこいいことを言っていた。

今回は、これをトランプとしては使わず、この絵柄を使うとのことで、お客さんに死生観光トランプのデータをお渡しし、それぞれが手元で絵柄を見れる状態にしてスタートした。

 

4人ほどの小さいグループに分かれて、つるちゃんからもらったお題について意見を出し合う。

①トランプの絵柄の中で単純に興味を引く絵柄はどれか?

どうしても受け入れられない死生観はどれか?

逆に共感できる死生観はどれか?

②トランプから離れて、自分の理想の死に方・死の考え方ってどんなのだろう?

という具合だ。

印象に残っているのは、受け入れられない死生観について話している時、ある方は「遺体の一部をスープに入れて飲む」という南米の(昔の?)死生観について、これだけは受け入れられないと話してくださった。

しかし、私はこのトランプを共感できる方に分類していて、「遺体をそのまま食べるのは無理だけど、火葬場で骨となった父をみたときに、食べてみたいというか、自分の一部にしたいという思いが湧いたことがあった」というエピソードを話したら、みな熱心に聞いてくださった。

デスカフェじゃなかったら、ドン引きされていただろう。また、ある方が、自分の理想の死に方・死生観を語るときに、これまで死について考えたこともなかったから、思いつかないとおっしゃったあと、日本人は死後のことを考えない人が多いように思う。「死後のことを考えない」これも一つの死生観ではないかという意見も印象に残った。

 

トランプ絵柄がおしゃれで、ポップだからか、死について話しているとは思えないほど、楽しげな雰囲気で進んでいき、あっという間に終わりの時間を迎えた。

最後につるちゃんから挨拶があって、デスカフェは盛会にて終わった。

各国の死生観を手元に、自分の理想の死生観に思いをはせる。それは旅先を決めるような感覚にも似ていて楽しかった。どことなく、肩の荷が軽くなった気がした。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。