親鸞聖人は、
「往生・浄土」
について、どのように理解しておられたのでしょうか。
このことを知るためには、次の四点について窺うことを通して、その思想を明らかにすることができるように思われます。
一、どのような行によって浄土に往生するか。
二、その往生はいつ決定するか。
三、生まれるべき浄土とはどのような場か。
四、往生した衆生はそこでどのような仏道を成すか。
これらの問題が、親鸞聖人の主著
『顕浄土真実教行証文類(以下「教行信証」)』
で論考されています。
この書は
「教・行・信・証・真仏土・化身土」
の六巻から成り立っています。
この中、第一の問題は、
「教・行・信」
の各巻で、第二と第四は
「信・証」
の巻で、第三は
「真仏土と化身土」
の巻で、その内実が明かされています。
ところで、親鸞聖人の思想の大きな特徴は、行道に関して、往生行の成就に時間的な流れを持たない点にあります。
周知のように、仏教は
「教・行・証」
の三つの綱格をもっています。
釈尊の教えを信じ、行じて、証果に至るのです。
ここで、衆生にとって最も重要なことは、
「信じ行じる」
行道にあることはいうまでもありません。
仏道とは、釈尊の教えをそのごとく一心に信じ、懸命に行道に励み、その行を相続して、最終的に自らの心を清浄にし、証果を得る教えだからです。
したがって、一心の行の相続がなければ証果は得られません。
ゆえに、行道という時間も流れを持たない仏教は、本来的にはありえません。
にもかかわらず、親鸞聖人の往生思想は、行道に時間の流れをなぜ持たないのでしょうか。
親鸞聖人の思想は、法然聖人との出遇いを除いては考えられません。
さらにいえば、その一切が法然聖人から受けた教えによっているといえます。
そこで重要なのは、親鸞聖人が法然聖人に出遇われる以前に、どのような仏道を行じておられたかにあります。