「親鸞聖人の往生浄土思想」(12月前期)

親鸞聖人は、

「往生・浄土」

について、どのように理解しておられたのでしょうか。

このことを知るためには、次の四点について窺うことを通して、その思想を明らかにすることができるように思われます。

一、どのような行によって浄土に往生するか。

二、その往生はいつ決定するか。

三、生まれるべき浄土とはどのような場か。

四、往生した衆生はそこでどのような仏道を成すか。

これらの問題が、親鸞聖人の主著

『顕浄土真実教行証文類(以下「教行信証」)』

で論考されています。

この書は

「教・行・信・証・真仏土・化身土」

の六巻から成り立っています。

この中、第一の問題は、

「教・行・信」

の各巻で、第二と第四は

「信・証」

の巻で、第三は

「真仏土と化身土」

の巻で、その内実が明かされています。

ところで、親鸞聖人の思想の大きな特徴は、行道に関して、往生行の成就に時間的な流れを持たない点にあります。

周知のように、仏教は

「教・行・証」

の三つの綱格をもっています。

釈尊の教えを信じ、行じて、証果に至るのです。

ここで、衆生にとって最も重要なことは、

「信じ行じる」

行道にあることはいうまでもありません。

仏道とは、釈尊の教えをそのごとく一心に信じ、懸命に行道に励み、その行を相続して、最終的に自らの心を清浄にし、証果を得る教えだからです。

したがって、一心の行の相続がなければ証果は得られません。

ゆえに、行道という時間も流れを持たない仏教は、本来的にはありえません。

にもかかわらず、親鸞聖人の往生思想は、行道に時間の流れをなぜ持たないのでしょうか。

親鸞聖人の思想は、法然聖人との出遇いを除いては考えられません。

さらにいえば、その一切が法然聖人から受けた教えによっているといえます。

そこで重要なのは、親鸞聖人が法然聖人に出遇われる以前に、どのような仏道を行じておられたかにあります。