「カウンセリングと仏教」(下旬) 無能だとわかる

 カウンセリングと宗教についてですが、まず自分をダメなやつだと思い悩んでいる人がいるとします。

そり人がカウンセリングを受け、自分をわかっていくことで、自分自身に可能性があることに気付いていきます。

その可能性で前向きの人生を歩んでいこうというのがカウンセリングです。

だから人生にはカウンセリングなのです。

 ところが宗教というのは、自分が頑張って仏さまの話を聞いたら分かるようになるんじゃないか。

助かるんじゃないか。

そういう思いから一生懸命頑張ります。

しかし、実際にはどんなに頑張って聞いてもなかなか悟れません。

頑張っても年はとるし、死からは逃れられません。

そうして、自分はダメなんだと、無能なんだとわかるというのが宗教なんです。

 だからカウンセリングと同じように、自分がわかるというのは一緒なんですけれど、わかる方向が違います。

カウンセリングは自分に能力や可能性があることに気付いて頑張り、この世の中で生きる力にするというものです。

 それに対して、聞いていけば聞いていくほど、実際には自分には能力がなく、何事も思うようにはならないということが本当にわかり、それがわかると自分がすでに助けられていたということに気付く。

この矛盾が矛盾でなくなるのが宗教であり絶対界です。

 自分のいい所に気付くか、自分にはいい所なんかなく、悪い所だらけだったとわかるかの違いが、宗教がカウンセリングと違うところです。

 「自己に目覚めてあやまり果て、本願に目覚めて喜びいさむ」。

自分で頑張ってどうにかなるのであれば、阿弥陀さまは必要ありません。

自分ではどうにもならないからこそ、阿弥陀さまが必要なのです。

阿弥陀さまが五劫思惟の願をたてて、我々を救ってくださるのです。

カウンセリングと宗教は、自分を見ていくということにおいて非常に似ていますが、やはり違いはあるということですね。