======ご講師紹介======
石田忠彦さん(鹿児島女子短期大学学長)
☆ 演題 「文学にあらわれた仏教」
昭和十三年佐賀県生まれ。九州大学文学部卒業後、高等学校教諭、活水女子短期大学助教授を経て、昭和六十年に鹿児島大学法文学部教授に就任。翌年には文学博士の学位を取得されました。
専門は日本近代文学で、特に明治文学と鹿児島の文学を中心に研究しておられます。
著書に『坪内逍遥研究』などがあります。
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鹿児島女子短期大学学長 石田忠彦さん
「文学にあらわれた仏教」という題で、仏教的伝統についてお話します。
これはあくまでも小説家の表現した仏教ですから、仏教界で教えるものとは異なるかもしれません。
その点はよろしくご了承ください。
それでは夏目漱石についてお話します。
ロンドンから帰って、一高と帝大(現東京大学)の講師をしていた夏目漱石(当時、金之助)が、人間関係などでノイローゼがひどくなってしまい、そこに友だちの正岡子規の弟子であった高浜虚子が『ホトトギス』という俳句の雑誌に「気晴らしにものを書いてみないか」ということで書いたのが『我が輩は猫である』の第一遍です。
実は、一遍で終るはずだったんですが、評判が良いもんですから、第二編も書いてみるかということになって、学校の講義よりも猫を書くのが楽しくなって、とうとう十一編まで書いています。
そうしている間に、だんだん小説を書くのがおもしろくなってきてしまって、まあ自分の精神にも良いものですから、多くの小説を書くんですね。
依然として一高・帝大の中では人間関係がうまくいきません。
なかなか偏屈ですからね。
だいたい「漱石」というペンネームは、頑固者という意味なんです。
中国に「流れに漱(すす)ぎ石に枕す」という漢詩があるのですが、ある男がこれを間違って「石に漱ぎ流れに枕す」と言ってしまったのです。
違うじゃないかと指摘しても、その男はこれで正しいと言い張るということがありました。
このように、頑固に自分の言うことをまったく引かない男のことを「漱石枕流」と言います。
そこからペンネームを取ったものですから、頑固者だということを自分も知っていた訳です。
こうして夏目金之助は夏目漱石として、次第に小説の方が本気になっていくわけです。
高校も大学もなかなか教授にしてくれず、雑用ばかりさせられて嫌になっているとき、三高(現京都大学)が英文科を創るから手伝ってくれと言われたり、読売新聞社から誘われたりするんですが、その他に朝日新聞社からも声がかかります。
もちろんそのとき迷ったと思いますが、結局朝日新聞社に転職をします。
朝日新聞社は、現在は東京に本社がありますが、当時は大阪が本社で、別の形で支社みたいに東京朝日新聞社がありました。
同じ経営者ですけど、東京と大阪は別会社だったんです。
それで漱石は「大阪に引っ越さないといけないかな」と考えたようですが、社主が「東京で頑張りなさい」と言ってくれるから、東京にいて小説を朝日にだけ連載するということになるんです。