「人間は万物の霊長である」
これは、人間という存在が地球上で一番偉い存在であるという人間至上主義とでもいいましょうか、これは二百年前頃から世界の思想を表す言葉です。
この考え方は、二百年ほど前のイギリスにおけるジョンロックやフランシスベーコンなどの哲学者によるものですが、これが今地球破壊の根元のようになっていますね。
人間が一番なんだから何をしてもいいということです。
彼らは言葉のことを「言葉とは人間同士のコミニュケーションの道具にすぎない」と言っています。
道具に過ぎないということは、機械化がいくらでもできるということです。
機械化をわかりやすく言いますと、自動販売機で缶コーヒーを買うとき、機械が「ありがとうございました」と言うでしょう。
電話を使ってもそうですし、銀行や郵便局のATMも全部機械が応えます。
これが機械化の典型ですね。
例えば、銀行の窓口でお金を払えば、受付の人と一言でも話をしますね。
そうすると、この人はこんな人だったんだとか、いい人だなというのがわかる。
人間相手だとそういう楽しみもあるんですが、機械相手では何もない。そういう機械化の時代になってくると、言葉は意味を持たなくなってきます。
パソコンや携帯電話のメールというのは、言葉を伝達の道具としてか使っていない。
「ごめんなさい」と謝るにしても、メールでは文字が出てくるだけです。
心からのごめんなさいも、軽い気持ちでのごめんなさいも全く一緒になる。
言葉の持つ魂が、相手に伝わらない時代になっています。
言葉が滅ぶということは、大きく言えば人間も滅ぶということなんです。
言葉が機械化され、単なる記号に過ぎなくなってきた今こそ、言葉を大事にしていきたい。
これは日本だけでなく、外国も同じような状況にあるそうです。
カトリックの人と話をしましたけど、一番の問題は言葉が乱れているということだそうです。
救いの根本である言葉が乱れるということは、人間が救われない時代になっているということであり、人間が滅びる時代なんだということを言われました。