その療養所には十五年も入院しておられる方がおいででした。
高畑さんという女性で、学校の先生をしておられた方でした。
結核をこじらせて腹膜という病気になって、十五年も山の療養所に生活をしておられました。
その方のお母さんは、療養所に毎日二時間かけて弁当を持って来られるんです。
お母さんは何年もの間、十一時頃のバスに乗って療養所においでになって、弁当を届けて二時頃のバスを乗り継いで帰って行かれるんです。
このことに私はたいへん感心させられました。
ある時に「よくされますね。たいへんですね」と申し上げたら、学校の教員をしておられた時に発病されて、今療養所におられるわけですから「もう一度娘を社会復帰させたいんです」とおっしゃられたのです。
私は少しずつなら動いてもいいと許可がおりましたので、俳句会に入りまして俳句を作り始めました。
月に一回俳句の先生がおいでになりまして、元気なものは重症の病棟におられる方々の俳句を集めて回ります。
それでその高畑さんも俳句を作っておられまして、ある時にこういう俳句を出されました。
「雪降るや 受けるのみなる 母の愛」
「母といて 苺を分ける 銀のさじ」
とてもきれいな良い句ですね。
結核というのは暖めてはいけないのです。
ですが、何十年も前の、しかも山の中の療養所でしたから、冬には雪が降って寒いんです。
当時は湯たんぽを足下に置いて暖をとるくらいしかできないのです。
高畑さんは雪を見ながら、果てしなく雪が降ってくるけれども、私は何も母に返すことができない。
ただただ母の愛を受ける一生です、というのが「雪降るや 受けるのみなる 母の愛」なんですね。
こんな病気になって不幸です、辛いんです。
だったらもう死にたい、というような悲壮感はこの歌からは全然感じられません。
では何が感じられるかというと「お母さんありがとう、お母さんのはたらきでこうして療養しています」と、お母さんを拝んでおられる世界ですね。
それからもう一つの句も美しい句です。
他の方が見たら「お気の毒ですね」「不幸ですね」とおっしゃる方も中にはいらっしゃるかもしれません。
でも高畑さんは「お母さんの愛に恵まれて療養していきます」と、こういうようにおっしゃっておられるのです。
この高畑さんは、親鸞聖人の『歎異抄』をベッドのしたに入れておられまして、ときどき「『歎異抄』を読んでるんですよ」と語ってくださったことがあります。
そういう世界を持っておられて、そして生かされている、願われている、そういう心を受け止めておられる。
私自身も人生の挫折でありましたけれども、そこで深い、柔らかい、あるいは強い心をそこでお教えいただいたことであります。