「私の北極物語」(上旬) 二時間に一度の甘いお茶

======ご講師紹介======

和泉雅子さん(女優)

☆ 演題 「私の北極物語」

昭和22年東京生まれの和泉さんは、14歳の時に日活映画会社に入社、数々の青春映画に出演。

中でも昭和37年の映画「非行少女」ではモスクワ映画祭で金賞を受賞されました。

テレビドラマにも多数出演。

レポーターとして訪れた南極に魅せられ、平成元年には日本人女性として初の北極点到達の偉業を成し遂げられました。

主な著書として『私だけの北極点』『ハロ−・オ−ロラ!』などがあります。

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北極では、二時間に一度はお茶の時間がありました。

なぜかといいますと、あんな寒いところで、二時間以上は頑張れません。

もしも、時間がもったいないといって、休憩もしないでどんどん先に行ったとしたら、どうなると思いますか。

極限状態に陥ってしまって、場合によってはそれが死亡事故につながってしまうんです。

ですから、どんな遠征隊でも、どんなに時間が惜しくても、必ず二時間にいっぺんは立ち止まって、お砂糖を五杯も入れた甘いお茶を飲んで、元気を出して頑張ります。

その方が安全性が高いんです。

それからお弁当です。

私たちの遠征隊は「食べる遠征隊」というあだ名がついたぐらいですから、年中食べておりました。

北極点に向かう途中、北極海が広がるところがあります。

実際は、スタート地点からずっとこの海の上の氷を歩いてきた訳ですね。

ですがこれは海ですから、さすがに歩くのは無理です。

そういう場合は、幅の広いところは渡らないようにします。

こういうのも川と一緒でして、必ず細いところがあるんです。

そこを渡るために、ソリを五メートルの長さにしました。

それを橋にして渡ったんです。

乗り物の場合はどうするかというと、遠くから勢いをつけて走らせます。

スピードを出して走ると海の上を浮かぶ浮力が出ますから、ジャンプして渡るわけです。

そして橋をかけて、全員でソリを引いて前進します。

簡単なようですけど、実はけっこう大変なんですよ。

失敗ができないんです。

もし誰かがうっかりこのソリを海に落としてしまったら、私たちはもう助かりません。

もちろんこのソリにはSOS、「助けてください」という緊急発進装置がつけられています。

海に落ちれば装置の信号が人工衛星に届いて、北極海の周りを取り巻く各国の基地のどこかから助けが来てくれます。

ただ残念ながら、飛行機の窓から見た人間というのは、特にこの北極海では見つけにくいんです。

どんなに正確に場所がわかっていても、合図してもわかりにくいんです。

その間、食べ物も、着るものも、飲み物も、テントも寝袋もストーブも何もありませんから、私たちは生きてはいけないんです。

ですから、失敗は決して許されません。

一日一回ならいいほうです。

ひどい時はなんと一日に十八回も海を渡るんです。

大変な重労働です。

そうやってある程度進んでくると、平らで走れる面が広がります。

私たちは、高速道路とよんでいました。

私の遠征隊もやっとこの面をとらえましたので、進む距離が一気に伸びました。

一日に五十キ、七十キロも前進できたんです。

北極で五月を迎えました。

実は五月はダメなんです。

必ずお天気と氷の状態が悪くなってしまうんです。

今回も案の定、天候が悪くなりました。

気温がどんどんあがってしまって、本来は大量の雪が積もっている場所が水浸しになっていたんです。

また、空の上の方にグレーの雲がかかりまして、雪の下に明るい帯状の空、その下に氷と海という風景になりました。

ぐるりと見渡してみても、これしか見えないという景色が二カ月間ずっと続きます。

だから、そうとう強い精神力がありませんと、頭がおかしくなってしまうんです。

私は、相性が良かったのか、全然気になりませんでした。