「ご縁の世界」(下旬) 悪人だと気付いた時、本当の救いがある

そんなことだけではない。

もっと大事なことは、始めにも申しましたが、私が大学に合格すれば誰かが落ちているんですね。

私が入社試験に合格すれば、誰かが入社できないんですね。

電車に乗ったら、満員だったとします。

「なんでこんなに人が乗っているんだ」

と思ったら、自分が降りたら良いんです。

私たちは、みんな他人に迷惑をかけながら生きているんです。

それがご縁の世界の生き方、ありさまなんです。

そうすると、他人に迷惑をかけている人はみんな悪人ですよ。

そう定義すると、私たちみんな悪人なんです。

でも、自分は迷惑をかけていないと思っている人がおいでになる。

それは善人ではありませんね。

そういう人は偽善者です。

そうすると、この世は悪人と偽善者しかいないということになります。

悪人というのは

「私は他人に迷惑をかけています」

と、自覚出来た人が悪人なんです。

しかし、考えてみれば、私たちはこの世の中で、悪人としてしか生きられない存在なんです。

そうしらた世の中には

「俺は悪人で良いじゃないか」

とふんぞり返っている人が出てくる。

そういう人を偽善者と名付けましょう。

でも、へたをすると、私たちもすぐに偽善者になってしまうおそれがありますよね。

親鸞聖人が教えて下さったのは、

「悪人なりなさい」

ということですね。

それは、自分が他人に迷惑をかけずには生きられない人間だという悲しみを持ちなさいということです。

私たちは、自分は悪人ではないと思っている。

善人ぶって、そして善人というのは正しいんだ、相手が間違っているんだ、相手に気がついて欲しいと思っているんです。

だけど、それじゃ救いがないんです。

自分が悪人だと気が付いたとき、本当の救いがあるんです。

「善人なおもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」。

これは

「自分の悪に気がついていない善人でも救われるんだ、それならば自分の悪に気がついた人は、きっと仏さまが救って下さるよ」

ということなんです。

ご縁の世界で相手が悪い、自分が悪いなどと言っていますが、どっちが悪いなんて言ってもしょうがないんです。

みんな、悪人としてしか生きられない。

それがご縁の世界の有り様なんです。

自分が真面目に努力すればするほど、相手の意欲を削いでいる訳ですね。

みなさんにお願いしたことは、その悲しみに気が付いたとき、そこに救いがあるんだと気付いて頂きたいということです。