そうじゃないんだ。
試験に落っこちた時に仏さまは
「おまえね、定員を作っているのは人間なんだ。
そういう中で、みんなが入れないんだから、おまえ今年ちょっと辛いだろうけど他の人に譲ってやってな」
と、落とされたかもしれない。
それが分かったとき、私たちは本当に幸せになれるんですね。
実は、この世の中はご縁の世界なんです。
ご縁の世界ということは、二人の人間がいれば、どちらかが悪いことになってしまうんです。
二人の人間がいれば、どちらかが背が高くてどちらかが低いんですね。
高い低いができる、多い少ないができる、良い悪いができる。
二つあれば出来てしまう、それがこの世の中、ご縁の世界なんです。
その中で、私たちは生きている訳なんですね。
昔から仏教では
「老・病・死」
の三つを苦しみだといっているんです。
老いる苦しみ、病むことの苦しみ、死ぬことの苦しみ、これに
「生」
というのをつけると
「生老病死」
で四苦になる訳です。
こういう苦しみがあるんだよと、お釈迦さまはおっしゃっておられます。
だけど私は、なんで老病死が苦しみかということが分からなくなって、それでお経をひもといてみて、どういう意味か原語の意味を調べてみてびっくりしました。
なぜかというと、
「思うがままにならないこと」
という意味があったからです。
老いることは思うがままになりません。
みなさん、
「もう年を取るのを止めました」
とはいかないんです。
病気も思うがままにならない。
私たちは、思うがままにならないことを思うがままにしようとするから苦しいんです。
何かを自分の思いのままにしようと思ったときに苦しくなるんです。
「病気が早く治るように」
「老いたくない」。
これが、
「請求書の祈り」
なんですね。
これが苦しいんです。
だから、思うがままにならないことを思うがままにしようとしなければいいんです。
お釈迦さまの教えというのは簡単なんです。
お釈迦さまの教え、仏教の根本の教えは
「苦にするな、思うがままにならないことを思うがままにしなさんな」
ということなんです。
簡単なことです。
この世の中、ご縁ですから。
そこで大事なこと。
それは何かと言ったら
「悪人になりなさい」
ということだと思います。
親鸞聖人の教えは、何を私たちに語りかけて下さったかといえば、
「あなた方、悪人になりなさい」
ということだろうと思います。
この言い方は、ちょっと誤解を招く言い方なんですが、
『歎異抄』
の中にある
「善人なほもって往生をとく、いはんや悪人をや」
という言葉。
ちょっと逆説的な言い方ではあります。
悪人が仏さまに救っていただけるのなら、当然善人も救われるというのが普通の常識です。
しかし、親鸞聖人はそうではない。
善人が救ってもらえるぐらいなれば、悪人は当然救われる。
これはどういう意味でしょうか。
善人と悪人。
これをどう定義するかが難しいんですが、仮に善人とは他人に迷惑をかけない人、悪人とは他人に迷惑ばかりかけている人。
そうすると、みなさんどうですか。
自分は善人ですか、それとも悪人ですか。
「いや、私はちょっとは迷惑をかけているかもしれないけど、そんなに迷惑はかけていないよ」
と思われるかもしれません。
しかし実は、生きているだけで迷惑なんです。
人間が生きていますと、その分地球上の酸素は不足します。
食料も、少なくなるんです。