翌(あく)る日の未明である。
まだ仄暗(ほのぐら)いうちに、範宴は房を立った。
供は、性善房と菰僧の孤雲の二人だった。
性善房は、しきりと、
「きょうからは、少納言さまも無動寺のお主(あるじ)、一カ寺のご住持でございますから、もう山の衆も、お小さいからといって、馬鹿にするような振舞いはいたしますまい」
といった。
彼には、それが、
(これ見よ)と見返したような晴れがましさであり誇りであった。
しかし、範宴は、
「わしに、そんな重いお勤めが、できるかしら」
と、今朝は、心配していた。
「おできにならぬことを、座主がおいいつけになるわけはありません。及ばずながら、性善房もお仕え申しておりますし、無動寺には、留守居衆が、そのまま、役僧として万事の御用はいたしますから、決してお案じなさるには及びません」
範宴はうなずいて、
「座主は、きっと、私を、お試しになるお心かも知れぬ。わしに、怠りが出たら、そちが、鞭を持って、打ってたも」
「勿体ない」
と、性善房はいった。
「そのお心がけで参れば、きっとご修行をおとげあそばすにきまっている。――私こそ、お師さまのお叱りをうけなければ」
「お互いに、修行しようぞ」
彼と性善房とが、主従ともつかず、師弟ともつかず、親しげに話してゆく様子を後ろから眺めながら、ぽつねんと、独りで遅れて歩いて、孤雲は、淋しそうだった。
その気持を察して、
「孤雲どの。――いいあんばいに、お日和(ひより)じゃな」
などと、話しかけては、性善房が、足をとめて振りかえった。
「――そうですね、降るかと思いましたら、霧が散って、八瀬の聚落(むら)や、白川あたりの麓が見えてきました」
孤雲は、どこか、元気がない。
範宴のすがたを見ると、彼は、それにつれて、旧主の寿童丸を思いだすのであろう。
羨(うらや)ましげに、独りで、嘆息をもらしている容子(ようす)が、時々見える。
(むりもない――)と性善房は察しるのだった。
ちょうど、孤雲と寿童丸との主従の関係は、自分と範宴との間がらに似ている。
さだめし、何かにつけて、
(寿童丸は、どうしているか)と、旧主に厚い彼の心は傷むのであろうと思いやった。
陽がのぼるほどに、谷々や、峰で、小禽(ことり)の音が高くなった。
中堂の東塔院から南へ下りて、幾つかの谷道をめぐって、四明ケ岳の南の峰を仰いでゆくと、そこが、南嶺の無動寺である。
――もう、大乗院だの、不動堂だのの建物の屋根の一端が、若葉時のまっ青な重巒(ちょうらん)の頂に、ちらと仰がれてくる。
「おや、孤雲は」
「ひとりで、沢へ下りてゆきました。おおかた、口が渇いて、竹筒へ、水でも汲みに行ったのでございましょう」
二人が、崖の際に立って、孤雲の影をさがしていると、どこかで、
「やい、十八公麿」
と、甲(かん)だかい声で、呼ぶ者があった。
思いがけない鋭さなので、思わず、足を竦(すく)めて振りかえると、彼方の山蔭に、土牢の口が見えた。