親鸞・登岳篇 黒白(こくびゃく) 7月(10)

翌(あく)る日の未明である。

まだ仄暗(ほのぐら)いうちに、範宴は房を立った。

供は、性善房と菰僧の孤雲の二人だった。

性善房は、しきりと、

「きょうからは、少納言さまも無動寺のお主(あるじ)、一カ寺のご住持でございますから、もう山の衆も、お小さいからといって、馬鹿にするような振舞いはいたしますまい」

といった。

彼には、それが、

(これ見よ)と見返したような晴れがましさであり誇りであった。

しかし、範宴は、

「わしに、そんな重いお勤めが、できるかしら」

と、今朝は、心配していた。

「おできにならぬことを、座主がおいいつけになるわけはありません。及ばずながら、性善房もお仕え申しておりますし、無動寺には、留守居衆が、そのまま、役僧として万事の御用はいたしますから、決してお案じなさるには及びません」

範宴はうなずいて、

「座主は、きっと、私を、お試しになるお心かも知れぬ。わしに、怠りが出たら、そちが、鞭を持って、打ってたも」

「勿体ない」

と、性善房はいった。

「そのお心がけで参れば、きっとご修行をおとげあそばすにきまっている。――私こそ、お師さまのお叱りをうけなければ」

「お互いに、修行しようぞ」

彼と性善房とが、主従ともつかず、師弟ともつかず、親しげに話してゆく様子を後ろから眺めながら、ぽつねんと、独りで遅れて歩いて、孤雲は、淋しそうだった。

その気持を察して、

「孤雲どの。――いいあんばいに、お日和(ひより)じゃな」

などと、話しかけては、性善房が、足をとめて振りかえった。

「――そうですね、降るかと思いましたら、霧が散って、八瀬の聚落(むら)や、白川あたりの麓が見えてきました」

孤雲は、どこか、元気がない。

範宴のすがたを見ると、彼は、それにつれて、旧主の寿童丸を思いだすのであろう。

羨(うらや)ましげに、独りで、嘆息をもらしている容子(ようす)が、時々見える。

(むりもない――)と性善房は察しるのだった。

ちょうど、孤雲と寿童丸との主従の関係は、自分と範宴との間がらに似ている。

さだめし、何かにつけて、

(寿童丸は、どうしているか)と、旧主に厚い彼の心は傷むのであろうと思いやった。

陽がのぼるほどに、谷々や、峰で、小禽(ことり)の音が高くなった。

中堂の東塔院から南へ下りて、幾つかの谷道をめぐって、四明ケ岳の南の峰を仰いでゆくと、そこが、南嶺の無動寺である。

――もう、大乗院だの、不動堂だのの建物の屋根の一端が、若葉時のまっ青な重巒(ちょうらん)の頂に、ちらと仰がれてくる。

「おや、孤雲は」

「ひとりで、沢へ下りてゆきました。おおかた、口が渇いて、竹筒へ、水でも汲みに行ったのでございましょう」

二人が、崖の際に立って、孤雲の影をさがしていると、どこかで、

「やい、十八公麿」

と、甲(かん)だかい声で、呼ぶ者があった。

思いがけない鋭さなので、思わず、足を竦(すく)めて振りかえると、彼方の山蔭に、土牢の口が見えた。