どこで行きちがったのか、範宴は性善房とはぐれて、奈良の杉林のあたりに、ただ一人でたたずんでいた。
そして町の方から来る人影を黄昏れのころまで克明に待ちつつ見まもっていたが、性善房らしい者は見えなかった。
もうここまで来れば、行く先の法隆寺は近いし、先にそこへさえ行っていれば、後から彼の来ることはわかっているが、
「どうしたのか」
と性善房の身も案じられ、またせっかくの連れを捨てて、先へ行く気も出なかった。
幾百年も経たような杉の梢が、亭々(ていてい)と、宵の空をおおっていた。
空は月の冴えに、黄昏れのころよりは澄明な浅黄いろに澄んでいて、樹(こ)蔭(かげ)の暗い所と、月光で昼間のような所とが、くっきりと、縞や斑(まだら)になっていた。
ほう、ほう、と鹿の啼く声がする――。
それに気づいて眸をこらして見ると、牝(め)鹿(じか)や牡鹿(おじか)が、月の夜を戯れつつさまよっているのだった。
範宴の腰をかけた杉の根のまわりにも、一、二疋寝そべっていて、彼が手を伸べると、人馴れた眸を向けて、体をそばへ摺り寄せてくる。
「おう」
範宴は、鹿の背を撫でながら膝へ抱き寄せた。
若い牝鹿の毛なみはつやつやとして、肌は温かだった。
「鹿は、餌に飢えているらしいが。……はて、何もやる物がない」
と、範宴はつぶやいて、
「飢えているといえば、わしにも何か飢えが感じられる。食ではない。眠りでも、安逸でもない。……この飢えた気持は、母の肌を恋うような血しおの淋しさだ。たまたま、山を下りて、俗界の灯を見、世間の享楽をのぞいたので、若い血が、うずきたがるのだろう」
彼は牝鹿の体温をおそれるように、膝から突き退けようとした。
けれど、鹿は動こうともしなかった。
思春期の若い鹿たちは、牝鹿の声にあやつられて、追いつ追われつ夜を忘れているのだった。
範宴は、立ちあがって、もいちど、猿沢の池の方へ戻ってみた。
ここにはまた、町の男女が、月見にあるいていた。
恋をささやきながら肩を並べて行く男女は、しょんぼりと、さまよっている範宴のすがたを振向いて、気の毒そうな眼を投げた。
彼らは今が幸福にちがいない。
だが、やがて生活を蝕(けしば)んでくる毒を呷(あお)っているにひとしい。
清浄身の沙門からみれば、むしろ、あわれなのはああした儚い夢の中に生きがいを焦心(あせ)っている多くの男や女たちではあるまいか。
範宴は、そう考えて、むしろあわれと見て過ぎたが、しかし、なんとはなく自身の中に、自身をさびしがらせるものがあることは否めなかった。
ただ、彼の理念と、修行とが、石のようにそれを冷たく抑えていて、うすく笑っておられるに過ぎないのである。
ばたばたと誰か駈けてくる跫音(あしおと)がして、
「お師さま!」
と、呼んだ。
さがしあぐねていた性善房の声なのであった。