「どこまで、水を汲みに行ったのだ?」学頭は、睨みつけていった。
「はい」
範宴が、詫びると、
「はいじゃない」と金火箸で、胸を突いて――
「貴公、この法隆寺へ、遊びにきたのか、修行にきたのか」
「…………」
「怠惰の性(しょう)を、懲らしてやる」
学頭は、金火箸をふりかぶって彼の肩を打ちすえた。
範宴は炊事場の濡れている土に膝も手もついて、
「わるうございました」
「不埒なっ」
庖丁(ほうちょう)を持ったり、たすきを掛けたりした同僚たちが、がやがやと寄ってきて、
「俺たちが、働いているのに、怪しからん奴」
と、一緒になって罵詈(ばり)する学僧もあるし、
「荒仕事に馴れないから、無理もないよ」と庇う者もあった。
だが、庇う者のことば対して学頭はよけいに呶鳴った。
「こんなことがなかで荒仕事か、僧院に住む以上、当たりまえな勤めだ。叡山あたりでは、中間(ちゅうげん)僧(そう)や堂衆をこきつかって、据膳下げ膳で朝夕すんでいるか知らんが、当寺の学生寮(がくしょうりょう)では、そんな惰弱な生活はゆるさん。――また、貴族の子でも誰の子でも、身分などに、仮借もせんのだ。それが覚運僧都の仰せでもあり、法隆寺の掟(おきて)でもあるのだ。よいかっ」
「はい」
「おぼえておけ」
法衣の上は何ともなかったが、打たれた肩の皮膚が破れたのであろう。
土についている手の甲へ、袖の奥から紅い血が蚯蚓(みみず)のように走ってきた。
血を見て、学頭は、口をつぐんだ。
範宴は桶の水を、大瓶にあけて、また、川の方へ水を汲みに行った。
もう、梢のすがたは見えなかった。
白い枯野の朝(あさ)靄(もや)から、鴉が立ってゆく。
「かるい容態ならよいが……」
弟の病気が、しりきと、胸に不安を告げていた。
――仏陀の加護を祈りながら、範宴は、同じ大地を、何度も踏みしめて通った。
半日の日課がすんで、やっと、自分の体になると、範宴は、性善房にも告げず、法隆寺から一人で町の方へ出て行った。
小泉の宿(しゅく)には、この附近の寺院を相手に商いしている家々や、河内がよいの荷駄の馬方や、樵夫(きこり)や、野武士などかなり聚合(しゅうごう)して軒をならべていた。
「あ……。ここか」
範宴は、立ちどまって、薄暗い一軒のあばら屋をのぞきこんだ。
大きな笠が軒に掛けてあって、
「きちん」と書いてある。
何か、煮物をしていると見えて家の中は、榾(ほた)火(び)の煙がいっぱいだった。
ぎゃあぎゃあと、嬰児(あかご)が泣く声やら、亭主のどなる声やらして、どうして、それ以外の旅人を泊める席があるだろうかと疑われるような狭さであった。