食物だの、衣服だの、また心づいた薬などの手に入るたびに、性善房は、範宴の旨をうけて、町の木賃へ運んで行った。
「きょうは、たいへんお元気でございました。あのご容子(ようす)ならば、もう明日あたりは、お床を上げられましょう」
きょうも、町から戻ってきた性善房が、彼の部屋へ来て告げた。
範宴の眉は、幾分か、明るくなって、
「――そうか。それではまず、弟の病気のほうは、一安心だが……」
「後が、もう一苦労でございますな」
「あの女子(おなご)との問題はどうしたものか。……もう養父上(ちちうえ)から、誰か迎えの者が来るころだが」
「観真様にも、さだめは、御心痛でございましょうに」
「それをいうてくれるな、わしたち兄弟は、生みの母君もともに、今の養父にひきとられて、乱世の中を、また貧困の中を、どれほど、ご苦労ばかりおかけ申してきたことか。……思うても胸がいとうなる」
「ぜひないことでございまする……」
やや世の中がしずまって、養父も、頭(つむり)を落し、せめて老後の月日をわずらいなく自適していらっしゃると思えばまたもこうしたことが起きてくる。
「……朝麿の罪ばかりは責められぬ、この範宴とても、いつ、養父にご安心をおさせ申したか。わしも、もっと励まねばならぬ。それが、亡き母君への唯一のお手向けではあるまいか」
性善房は、胸がいっぱいなって、何もいえなくなった。
範宴の肉体に赫々(かっかく)と燃えている火のような希望も頼もしくおもいながらも、目前の当惑には、つい弱い嘆息が出てしまうのであった。
「範宴どの。――都から早文が着いておるぞ。寮の執務所まで、取りにおいでなさい」
庭先で、誰かいった。
さては――と範宴はすぐ書面をとってきて、封を切った。
待ちわびていた養父からの返事である。
返書が来たところをみると、若い二人を迎える使いはよこさないものとみえる。
養父はどう考えているのだろうか、どう処置せよと仰(お)っしゃるのだろうか。
読みくだしてゆくうちに、彼は養父の筆のあとに、養父の顔つきだの心だのがなまなまと眼にみえた。
親子の慈愛というものが、惻々(そくそく)と胸をうってくる。
しかし養父が書中にいっている要点は、その慈愛とは反対に次のような厳格な意見であった。
(女子の親とも相談したが、言語にたえた不所存者である。
家を捨てて出た衣装、かまいつけることはないと決めた。
おもとも、不埒な駈落ち者などに関(かま)っておらずに、専心勉学されたがよい。
当人たちが困ろうと、飢えようと自業自得であり、むしろ生きた学問となろう。
親のことばより実際の社会(よのなか)から少し学ばせたほうが慈悲というものだ。
迎えの使いなどは断じて出さぬ)
というのである。