金を見ると木賃の亭主は、平(ひら)蜘蛛(ぐも)のように謝り入って、それからは手のひらを返すように、頼みもしない薪を持ってきたり、粥を煮ようの、薬はあるかの、うるさいほど、親切の安売りをする。
「……現金な奴だ」野武士ていの男は苦笑しながら梢にむかって、
「お女房。ご病人のようすはどうだな、すこしはいいか」
「いつも、ありがとうございまする、おかげ様で、きょうあたりは……」
梢は、範宴にむかって、
「お兄さま。この隣のお方には、毎日何くれとなくお世話になっております。お礼を申し上げてくださいませ」
といった。
範宴はそういわれぬうちから、なんと礼をいったらよいかと、胸のうちでいっぱいに感謝しているのだった。
世には奇特な人もある。
弱肉強食の巷とばかり世間を見るのは偏見であって、こういう隣人があればこそ、修羅火宅のなかにも楽土がある。
あえぐことのみ多い生活のうちにも清泉に息づく思いができるというものであろう。
かかる人こそ、仏心を意識しないで仏心を権化(ごんげ)している奇特人というべきである。
何を職業としている者かありがたい存在といわねばならぬ。
範宴は、両手をつかえて、真ごころから礼を述べ、建て替えてくれた金子(きんす)は、沙門の身ゆえ、すぐには調達できないが、両三日うちには必ず持ってきて返済するというと、男は磊落(らいらく)に笑って、
「そんな義理がたいことには及ばないさ。奈良の茶屋町で、一晩遊べば、あれくらいな金はすぐにけし飛んでしまう。お坊さんへ、喜捨いたしますよ。はははは」
「それでは余り恐れ入ります。失礼ですが、ご尊名は」
「名まえかい。――名をいうほどな人間でもないが、これでも、先祖は伊豆の一族。今では浪人をしているので、生国(しょうごく)の名をとって、天城(あまぎの)四郎とよんでいる田舎武士だよ」
「では、旅先のお体でございますか。さすればなおのこと、路銀のうちを私どもの難義のためにお割きくだされては、ご不自由でございましょうに」
「なんの、長者ほどはないが、路銀ぐらいに不自由はしない。くれぐれも、心配しなさるな。そう案じてくれては、せっかくのこっちの好意がかえって無になる。……ああ思わず邪魔をした。どれ、自分の塒(ねぐら)に入ろうか」
そういうと、男は隣の間に入って、ふたたび顔を見せもしない。
やがて、黄昏れの寒(かん)鴉(あ)の声を聞きながら、範宴も、法隆寺へ帰って行った。
そして、山門の外から本堂の御扉を拝して、弟のために、祈念をこらした。
その夜――凍りつく筆毛を走らせて、彼は、粟田口の草庵にいる養父(ちち)の範綱――今ではその俗名を捨てて観真とよぶ養父へ宛てて、書くにも辛い手紙を書き、あくる朝、駅使(うまやづかい)にたのんで京へ出しておいた。