11月5日〜9日までの5日間、鹿児島市にあります、西本願寺鹿児島別院において、鹿児島教区・鹿児島別院親鸞聖人750回大遠忌法要が勤まりました。
これをお読みになっておられる方の中にも、お参りされた方が多数いらっしゃる事かと思います。
50年に一度の法要を大遠忌法要と申しますので、前回の大遠忌法要となりますと50年前の親鸞聖人700回大遠忌法要ということになります。
今回のご法要は5日間計8座、のべ5000人程の方がお参りになられました。
京都の御本山・本願寺よりご門主様、並びに新門様、両門さまご出勤のもとお勤まりになりましたので、普段の法要とはまた違い、一段と緊張感のある厳粛な法要となりました。
お経を唱える方々、お経に華をそえたコーラス隊の方々、表には見えない裏方として法要を支えた方々、そしてお参りになられた数多くの方々、一人一人の思いと力が結集したすばらしいご法要であったと感銘を受けました。
これだけのご法要でしたので、準備段階からそれぞれに多くの苦労があり、私自身も少々やりきったというような感じがあります。
法要中にも何度か確認されたことでありましたが、50年に一度の大遠忌法要を勤めるということは、法要が終わってこれで終わりということではありません。
次の50年後の大遠忌法要に向けて我々浄土真宗本願寺派教団がどのようにあるべきか、という新たな歩みへの始まりでもあります。
私自身、50年後の800回大遠忌法要は年齢的に厳しいですが、先人がいのちがけで護り我々に伝えてくださったように、人は変わり形は変わっても、私たちの後輩がお念仏の教えを受け継ぎ、800回大遠忌法要をお勤めすることとなるでしょう。
その時、私たちの教団は民衆にとってどのような教団であるか、めまぐるしく変化していくこの現代社会の中で、さまざまな社会問題とどのように向き合っていくか、これからの歩みがこれからの本願寺教団の未来に関わってくることと思われます。
この視点は私たちの教団のことにとどまらず、この国のあり方としても大事にしなければならない事だと思います。
目先の利益に走り、合理的かつ経済的観念のみを重視したあり方では、おそらく次の世代以降へ多くのつけを残すこととなるでしょう。
それは深刻な環境問題やこの国が抱える巨額の借金にもその兆候ははっきりと表われています。
原発を含むエネルギーの問題、平和憲法・集団的自衛権の問題等、今、日本は多くの大変な問題に直面していますが、50年後100年後に責任を持てるようなあり方が必要であり、それが先人より受け継ぎ現代を預かるわたしたちの責任であると思います。
そのようなことを仏教の教えの中に、親鸞聖人がお勧めしてくださったお念仏の教えの中に、あらためて確認していく機縁として、今回の750回大遠忌法要を私は捉えていきたいと考えています。
またそれが、宗祖親鸞聖人や先人のご恩に少しでも報いていく道であると思います。