親鸞・去来篇1月(6)

そこへ、侍女(こしもと)が、菓子をはこんできて、慈円のまえと、範宴のまえにおいた。

慈円は、その菓子を一つたべ、白湯(さゆ)にのどをうるおして、

「えへん」

と咳(せき)ばらいした。

姫も、女房たちも、おのおの、楽器をもって、待っていたが、いつまでも慈円が謡(うた)わないので、

「いやな叔父さま」

と、姫はすこしむずかって、

「はやくお謡いあそばせよ」

あどけなく、鈴のような眼をして、玉日姫が睨むまねをすると、慈円はもう素直に歌っていた。

西寺(さいじ)の、西寺の

老い鼠(ねずみ)、若鼠

おん裳(も)喰(つ)んず

袈裟(けさ)喰んず

法師に申せ

いなとよ、師に申せ

歌い終わるとすぐ、

「兄上、ちと、話したいことがあるが」

と、兼実へいった。

「では、あちらで」

と兼実は、慈円と共に、そこを立って、別室へ行ってしまった。

姫は、つまらなさそうな顔をして、二人の後を追って行ったが、父に何かいわれて、もどってきた。

乳人(めのと)や女房たちは、機嫌をそこねないようにと、

「さあ、お姫(ひい)さま、もう、誰もいませんから、また猿楽あそびか、鬼ごとあそびいたしましょう」

「でも……」

と、玉日は顔を振った。

範宴が、片隅に、ぽつねんと取り残されていた。

女房たちのうちから、一人が、側へ寄って、

「お弟子さま。

あなたも、お入りなさいませ」

「は」

「鬼ごとを、いたしましょう」

「はい……」

範宴は、答えに、窮していた。

「お姫(ひい)さまが、おむずがりになると、困りますから、おめいわくでしょうが」

と手を取った。

そして、

「お姫(ひい)さま、この御房(ごぼう)が、いちばん先に、鬼になってくださるそうですから、よいでしょう」

玉日は、貝のような白い顎(あご)をひいて、にこりとうなずいた。

いうがごとく、迷惑至極なことであったが、拒むまもなく、ひとりの女房が、むらさきの布(ぬの)をもって、範宴のうしろに廻り、眼かくしをしてしまった。

ばたばたと、衣(きぬ)ずれが、四方にわかれて、みんなどこかへ隠れたらしい。

時々、

東寺の鬼は

何さがす――

と歌いつつ、手拍子をならした。

範宴は、つま先でさぐりながら、壁や、柱をなでてあるいた。

そしてふと、眼かくしをされた自分の現身が、自分の今の心をそのままあらわしているような気がして、かなしい皮肉にうたれていた。