ユネスコの方も触れているんですが、屋久島は大変珍しい世界遺産で、人間の影響を盛大に受けながらも、森林生態系が壊れずに自然遺産になったという特徴を持った森林というふうに言われております。
したがって、屋久島の森は、今の時代のように自然と人との関係が問われる時代には、森を破壊することなく、人間が森に関わってきた具体的な例として大変良い資料を持った森だと思っていただいてよろしいわけです。
私は鹿児島の生まれではありませんが、屋久島に住み始めてからもう二十年以上たちます。
二十年も暮らしていますと、鹿児島での活動というのが時間とともに増えてきます。
昨年、南日本新聞社と郵便局が『二十一世紀に伝えるふるさとの風景』とう事業を企画したんです。
そこで写真コンテストを行いまして、私もその審査に携わりましたが、とても感心したんです。
コンテストの募集をしたときに「人も風景のうちですよ」なんて言っていたわけではないのですが、『ふるさとの風景』というタイトルで写真を募集したら、人の関わった風景がたくさん出てきたのです。
ふるさとの風景として皆さんが思い浮かべるものの中には、人間の存在がこんなにも色濃くあったのかというのが私の印象だったのです。
私たちが求めているふるさとというイメージ、あるいはこれは美しいと思う風景の中には、人間というものも存在して含まれているんだということなんです。
これは大発見で、非常に教えられた気持ちになりました。
また、『フォト濃美展』という写真コンテストで特賞をとった池田湖の写真があるのですが、池田湖というのは火山による噴火でできた湖で、非常に激しい圧倒的な自然の創造現象なんです。
そのような場所で、長年にわたる災害に悩まされながら自然と折り合いをつけ、必死に安定的な暮らしの場を作ってきた人間の営みの風景が、私たちに安らぎや美しさを感じさせてくれるのだと思います。
つまり、そういう自然の激しい現象、そのすき間を縫いながらの人間の知恵の積み重ね、あるいはちょっと踏み越えてしまったときは自然からのしっぺ返し。
そういうものを繰り返しながら、私たちが思っている日本におけるふるさとの風景といのは構築されてきたわけです。