月(つき)輪(のわ)の里まで送って行くつもりであったが、姫を乗せた牛車(くるま)が四、五町行くと、彼方(かなた)から一団の焔(ほのお)と人影とが駈けてくるのと出会った。
人々は、手に手に松明(たいまつ)をかざしていた。
また、太刀だの、長柄(ながえ)だの、弓だのを携(たずさ)えていた。
そして此方(こなた)の牛車を見かけると、
「怪しげな法師、通すな」と取り囲んで騒(ざわ)めいた。
性善坊は、疾(と)く察して、
「もしや、おのおのは、月輪殿のお召使ではありませぬか」
「さればじゃが……そういうところを見ると、おぬし達は、姫ぎみの身について、なにか存じているところがあるに相違あるまい。姫は、どうしたか、存じ寄りもあらば教えてくだされい」
「その玉日様ならば、これからお館へお送りしようと考えてこれまで参ったところです。おつつがなく、牛車(くるま)のうちにおいで遊ばされる」
嘘かと疑っているらしく、初めは、そういう性善坊の面(おもて)を睨みつけていたが、やがて、前後の事情をつぶさに訊かされたうえ、姫のために車を与えて、車の側(わき)に歩行しているのは聖光院門跡の範宴であるときかされて、月輪家の人々は、大地へ手をつかえて、
「知らぬこととは申せ、無礼の罪、おゆるし下さいませ」
「これこそ、あらたかな御仏(みほとけ)の御加護と申すものでございましょう」
「館(やかた)のおよろこびもいかばかりか……」
「いずれ改めてご挨拶に出向きまする」
「ああ、ほっとした」
「ありがたい」
と、いってもいってもいい足りないような感謝の声をくりかえして、人々は、姫の側近(そばちか)くに集まった。
覚明は牛の手綱を渡して、
「では、確かに、姫の身は、お渡しいたすぞ」
「はい。……それでは」
と月輪家の者が代って曳いた。
姫は、車の裡(うち)から、
「この車まで、いただいては」と、遠慮していった。
「どうぞ、そのまま」範宴は、姫の顔を、前よりも鮮やかに見た。
姫は、涙でいっぱいになった眸(ひとみ)で、頭(かしら)を下げた。
その黒髪の銀釵(ぎんさ)はもう揺れだした軌(わだち)に燦々(きらきら)とうごいていた。
召使たちは、何分にもお館の心配を一刻もはやく安んぜねばと急ぐように、車の返却や礼のことばは明日改めてとばかり先を焦(せ)いて曳いて行った。
廻る輪の光を迅(はや)く描いて、軌(わだち)は白い道に二筋の痕(あと)をのこして遠ざかった。
キリ、キリ、と朧(おぼろ)な闇に消えてゆく車の音に、範宴は、いつまでも立ちすくんでいた。
おそろしい力が、今自分の信念もいや生命までも肉と魂とを引き裂いて胸の内から引っ張ってゆくのではないかと気づいて、慄然(りつぜん)と、われに回った眼で、雲母(きらら)曇りの月を探した。