前回までの論考において、親鸞聖人の思想に対しての定説となっている「信心正因・称名報恩」の説に疑問を呈し、もし「行巻」の思想を重視するならば、単にそのような範疇の中で親鸞聖人の思想を捉えようとすることには問題が残るという結論を導き出しました。
それは「行巻」の称名には、従来の伝統の宗学が意味する「称名報恩」の義とは、明らかに異なった方向が示されているからで、しかもそれが「衆生の称名」という行相をとっています。
そこで、ここでは、「行巻」の称名をどのように理解することが適切かが、次の問題になります。
この場合、単なる「称名報恩」の義でないとすると、この称名には、称名が往生の業因となる「称名正定業」の義が含まれることになります。
もちろん、このような見方は、「正定業義」の『安心論題』が示すように、従来の宗学においても注目されていたことは事実です。
けれども、『安心論題』が示す称名正定業の義は、例えば真宗においては古来これを、名号・信心・称名の三種に分け、そのなか称名が正定業といわれ得るのは、正定聚後の作業としてであって、本願の行者の称名は、初起一念のときに名号が心中に満入し、それが口に露現するものであるから、その称名を正定業とするのだとしているように、これは「信心正因・称名報恩」の思想を裏付けるための「正定業義」にほかなりません。
したがって、この称名正定業義は「信」を離れては成立せず、信後の一声がまさしくこの義にあたることになります。
そうだとすると、『安心論題』で扱われている称名正定業義と、ここで述べようとする称名正定業義とは、本質的に異なった面があることを確認しておく必要があります。
なぜなら、これから述べようしている称名正定業義は「行巻」の「大行出体釈」の思想の中に見られる称名を指すからです。
明らかに知られているように、そこで親鸞聖人は「大行者則称無碍光如来名」と示され、それを「斯行即是摂諸善法具諸徳本」と受けておられます。
そうすると、この「称名」は諸善法諸徳本を具し明確に往生の業因となる称名と言わなければならず、しかもそれは「信巻」に先立って述べられています。
「信巻」に先立つということは、この称名は、未信の衆生を獲信に導く「正定業」の義を有していることを意味しています。
従来の宗学では、この「称名」を問題にする場合、衆生の信の有無を重視しているのですが、しかしこの点に関しては、信の有無よりも称名それ自体の正定業となるべき義が、親鸞聖人の思想の上にどのように見られるかを問う必要があります。
このような見方は、それは「称名」ではなく「名号」の問題ではないかと言われるかもしれません。
確かに、称名についてのこのような見方は、名号という言葉に置き換えてしまえば、あるいは従来の宗学と同じ意味になるのかもしれません。
けれども、それを名号ではなく称名とするところに、以下の論考の重点があります。
そこで、先哲の諸説との対応を試みながら、行の考察を試みることで称名正定業義について明らかにすることができればと思います。
検討する学説は、石泉・空華・豊前の三学派から、僧叡(1762〜1826)、善譲(1806〜1886)、円月(1818〜1902)の三師を選び、それに現代の学説として大江淳誠・桐渓順忍両師の説を加えることにします。
三学派は、宗学の代表的学派と目されるばかりでなく、石泉は「衆生の称名」を、空華は「法体の名号」を、豊前は「諸仏の称讃」を大行とし、それぞれ異なった角度より大行の本質をとらえ、宗学の行論はほぼこの中に含まれると考えられるからです。
大江師の説は、これらの学派の流れを正統的に受ける現代を代表する学説であり、桐渓師の学説は空華の流れを汲みつつ、それに特徴のある解釈をほどこしておられるので対象とさせて頂きます。
さて、『教行信証』の「行巻」は、「謹んで往相の廻向を按ずるに、大行あり大信あり」の文に始まり、
大行者、則称無碍光如来名。
斯行、即是摂諸善法具諸徳本、極速円満、真如一実功徳宝海。
故名大行。
と続きます。
これがいわゆる「出体釈」と呼ばれる箇所ですが、ここではこれに「称名破満釈」までを含めて、先哲の諸説と対応しながら、ここに見られる親鸞聖人の「行」の思想を考察してみたいと思います。
まず、出体釈についての諸説をみてみることにします。