小説・親鸞 2014年10月1日

麓(ふもと)の白川口には、一輛(りょう)の輦(くるま)が待っていた。

二人の稚子(ちご)と牛飼の男が、そばの草(くさ)叢(むら)に腰をすえて、さびしげに雲を見ている。

そこは、志賀山越えと大(お)原道(はらみち)との岐(わか)れ目であった。

一面の琵琶(びわ)を背に負い、杖をついてとぼとぼと志賀の峠から下りてくる法師があった。

足もとの様子で盲人と見たので、草の中から稚子(ちご)が、

「琵琶法師さん、輦(くるま)があるよ」と、気をつけてやる。

盲の法師は杖をとめて、

「ありがとう」背を伸ばし、空を仰いで、

「どなたのお輦ですか」

「聖光院の御門跡さまが、山をお下りになるんです」

「あ!……。範宴どのが、山を離れられるとか」

「御門跡さまをご存じですか」

「月(つきの)輪(わ)公の夜宴でお目にかかったことがあります。そうですか、やはり、離山なされることになったか。そうなくてはならないことでしょう。

……範宴少(しょう)僧(そう)都(ず)の君をことほぐために、一曲奏(かな)でたい気持さえ起るが、ここは路傍、やがての事にいたしましょう。私は、峰(みね)阿(あ)弥(み)と申すものです。どうぞ、よそながらこうとお伝え置きねがいまする」

独りで喋(しゃべ)って、独りでうなずきながら、旅の琵琶法師は、落(おち)陽(び)のさしている風の中を、大(お)原道(はらみち)のほうへとぼとぼと歩み去った。

「なんじゃ、あの法師めは、盲というものは口(くち)賢(がしこ)いことをいうから嫌いだ」

牛飼の男が、つぶやいた時、戯(たわむ)れ合っていた稚子(ちご)たちが、

「あ、お見えじゃ」と立ち上った。

雲母(きらら)坂(ざか)を越えて斜めに降りてくる範宴の姿や、その他の迎えの人々が見え初めたのである。

輦(くるま)の簾(れん)をあげて、牛飼は轍(わだち)の位置を向きかえた。

(範宴離山)の噂は、半日の間に、叡山(えいざん)にひろがっていた。

ひそかに、彼へ私淑している人々だの、彼の身を気づかっていた先輩だの、また、一部の学徒の人々だのが、真っ黒なほど範宴のうしろに列を作っていた。

その人々へ対(むか)って、慇懃に、別辞の礼を施(ほどこ)してから、範宴は、輦の中へ移った。

彼の胸には、この時すでに、十歳の春から二十九歳のきょうまで、生れながらの家のように、また、血みどろな修行の壇(だん)としてきた、叡山に対して、永遠の訣別(けつべつ)を告げていたのであったが、送る人々は、なにも気づかなかった。

「範宴御房、おすこやかに」

「またのお移りを待つぞ」

などといった。

輦(くるま)がゆるぎだすと、白河の上にも、如(にょ)意(い)ヶ岳(たけ)のすそにも、白い霧のながれは厚ぼったく揺らいでいた。

そして、どこからともなく、淙々(そうそう)と四(し)絃(げん)を打つ撥(ばち)の音(ね)がきこえてきた。

「お、琵琶の音がする。……加古川の法師は?……」

輦のうちで眼をふさぎながら、範宴は、玉(たま)日(ひ)姫(ひめ)のすがたを、おぼろ夜の白い桜(はな)を思いうかべていた。