すさまじい荒法師の一群(いちぐん)が、肩をいからし、高下駄を踏みならして、
「もの申すっ」聖光院の玄関に立ち、こう呶鳴(どな)った。
「範(はん)宴(えん)少(しょう)僧(そう)都(ず)に会いたいことがあって、遥けく罷(まか)りこした僧どもでござる。
お取次をねがう」坊官たちは、玄関脇の一室で、
(や、また来た)と眼まぜをしあい当惑顔をするのであった。
根(ね)来(ごろ)の誰とか、三井寺のなにがしとか、また聖(しょう)護(ご)院(いん)の山伏だの、鎌倉の浪人者だの、名もない市(し)井(せい)の無頼漢(ならずもの)までが、きのうも今日もこれまで幾組来たことかわからない。
いい合わしたように、皆、
(範宴に会わせろ)とか、
(範宴をこれへ出せ)とかいう。
彼が叡山(えいざん)を下りて、ここへ帰ったという事実は、一日のうちに洛中洛外に知れわたってしまった。
――燃えている炎の中へ、油の壺でも投げこんだように。
破戒不浄の似非(えせ)門跡(もんぜき)に会って、面皮をむいてくれねば帰らぬと、玄関に立ちふさがる輩(やから)もあるし、嫌がらせをいって、金を強請(ゆす)りにくる無頼漢や浪人もあった。
「あくまで、お留守だと申せ」
執事の木(こ)幡(ばた)民(みん)部(ぶ)は、坊官たちへかたくいい渡して、いよいようごかないと、自身が追い返していた。
今も、訪れた一組は、
「不在ならば、行く先を聞こう」
といって、階(きざはし)に、腰をすえこんで、
「四、五日前に叡山からここへ帰ったことをたしかめて来たのだ。それから、どこへ隠れたのか」
坊官たちはもてあまして、
「存じませぬ」というと、
「たわけッ」
一人がわれがね声で、
「おのれたち、役僧として、門(もん)主(しゅ)のいどころを知らんですむのか。たとえば、今にでもあれ、公庁の御用でもあったらどこへつたえるつもりか」
「でも、そう命じられておりますから、お教えするわけにはゆきません」
「汝らでは、話しがわからん。執事を出せ、まさか、執事までが雲がくれしているのではあるまい」
「どなたが仰せられても、御門跡にお会い申すことは絶対にできません」
「うるさい」
薙刀(なぎなた)の石突きで、一人が坊官の腰を突いた。
坊官が逃げこむと、
「やあ、聞けよ範宴。汝、それほどに自己の行状(おこない)を恥じるならば、なぜ、ここへ出て、両手をつかえ悔(かい)悟(ご)の真実を示すなり、世上へ謝罪の法を執るなりせぬか。それとも、異論あらば、論議するか。人のうわさも七十五日と、隠れていても、事は済まぬぞ」