このひどい大風が明け方までも吹きつづけたら京の町はどうなることか。
丸木組みのいたって粗末なこの吉水禅房の道場などは、ひとたまりもあるまいと、人々は、上人のまわりに固(かた)唾(ず)をのんでいた。
危険を冒(おか)して、その中を見舞いに来た性善坊はやがて、
「ではお暇いたします」
ざぶざぶと、ふたたび豪雨の闇の中へ帰って行った。
上人は、自分の側から立たない綽空の顔を見て、
「垣の外に流れがある。常に来て案(あ)内(ない)を知る者ならば墜(お)ちることもあるまいが、見てやりなさい」
「はい」
綽空は、上人の思いやりをありがたく思いながら、廊下を伝(つた)わって行って、性善坊の影を、窓からさがした。
「綽空さま」
性善坊は、まだそこに立っていた。
篠(しの)をつくような雨を浴びて――。
ここの門で、師弟の袂(たもと)をわかつ時に、決して、訪ねてくるな、会いにくるなと、かたく誡(いまし)められていたので、常に心にかけながら来ることができなかったのであるが、今夜の大(おお)暴風雨(あらし)を幸いに、性善坊は、駈けつけてきたのであった。
――でも、同門の人々や、上人の前で、親しい言葉をかわすことができなかったので、心残りに、まだそこに佇(たたず)んでいたものと見え、窓に、綽空の顔を見ると、とびつくように寄ってきて、昔ながらのことばで、
「お師さま!」と、濡れた顔を下からのばした。
「上人のお心づけじゃ、そのあたりに、山水(やまみず)の流るる溝(みぞ)がある、気をつけてゆけよ」
「はい」
「そちは、以来、無事か」
「聖光院の門跡もかわりましたゆえ、青蓮院の僧正におすがりして、尋(じん)有(ゆう)様と共に、僧正のお給仕をいたしております」
「弟もやっているか」
「静かに、ご修行でございます。しかし、近いうちに、慈円僧正には、ふたたび、叡山(えいざん)の座主におつきになられるようなお話でございますから、そうなると、滅多にお目にもかかれなくなろうと思われまする」
「わしのことは、くれぐれ、案じてたもるな、この通り、ひところよりは、心の決定(けつじょう)を得て、体もすこやかに暮しておる」
「慈円様にも、御(ご)安(あん)堵(ど)のようにお見うけ申されます」
「こよいの暴風雨(あらし)で、青蓮院のほうも何かと騒がしかろう。わしの見舞よりは、僧正のお身のまわりこそ――」
と、吠える空の雲に眸(ひとみ)をあげて、
「はやく、もどれ」
といいながら、窓をしめた。