私たちは「人として生まれた以上、幸せになりたい」と誰もが思っています。
おそらく、あなたもそうなのではありませんか。
「幸せ」の内容については人それぞれに違うのかもしれませんが、その大半は経済的な豊かさを前提としているように思われます。
そのため、一般には国の豊かさを示すGDP(国内総生産)が幸せの指標とされています。
ところが、ヒマラヤの麓にある人口70万人のブータンは、独自のGNH(国民総幸福量)を国の発展の指標にしていることで知られています。
このことから、紹介されるときに「幸せの国・ブータン」と呼称されることがあります。
このGNH(国民総幸福量)は、四つの柱から成り立っています。
①「持続可能で公平な社会経済開発」
②「環境保護」
③「文化の推進」
④「良き統治」です。
特に①から窺い知られることは、多くの国のように経済成長を幸せの基準として重視していないことです。
そのブータン王国から平成23年11月中旬、国王ジグミ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク陛下及び同王妃ジツェン・ペマ・ワンチュク陛下が国賓として来日されました。
その優しい人柄と、美しい民族衣装をまとった王妃陛下と仲むつまじく幸せそうにしておられるお姿は、テレビ等のメディアにおいて連日大きく取り上げられました。
まさに「しあわせの国」から来られたお二人といった感じでした。
このことから、ブータンは今でも国王が政治の実権を握っているかのように思われますが、実は前国王の提唱で、既に立憲君主制に移行しています。
つまり、国王はいらっしゃるのですが政治的権限を持たず、国民の選挙によって選ばれた議員の中から首相を選出するという議員内閣制になっているのです。
ブータンでは、2008年に初めての国民議会の総選挙が行なわれ、2013年には二回目の総選挙が行なわれました。
一回目はブータン調和党が47議席のうち45議席を占めて圧勝したのですが、二回目の総選挙では15議席と惨敗。
一回目は2議席しか獲得できなかった野党の人民民主党が、32議席を獲得して大逆転しました。
これにより政権交代が起きたのですが、その理由はいったい何だったのでしょうか。
王政から立憲君主制に移行した後、最初に政権を担うことになったブータン調和党は、それまでの計画経済から市場経済に踏み出しました。
それまで、ブータンは電気の普及していない地域が多かったことから、新政権は水力発電所を各地に建設し、町と町との間を結ぶ道路網を整備するなどの公共事業を行いました。
それによって著しく経済が発展し、この結果、電気の普及率も王政時代の65%から95%以上に急上昇しました。
電気が普及したことによりまず何が起きたかというと、各家庭がテレビを購入するようになりました。
すると、ブータンでは隣国インドの放送も見ることができるのですが、テレビを通して豊富な商品のCM放送を頻繁に目にするようになりました。
すると、国内に消費ブームが起こりました。
「欲しいものを買うためには現金収入が必要」です。
そこで、仕事を求めて首都に若者が集まるようになりました。
それに伴い、住宅不足が起こり、マンションやアパートなどが次々と建設されました。
すると、今度は激しい物価上昇、つまりインフレが発生しました。
それまで鎖国同然だったプータンには工場がほとんどないため、消費プームが起こって需要が増えても供給が追いつかなかったのです。
さらに、プータンはインドからの援助によって国家財政が成り立っていたのですが、ブータンに輸出する灯油に出されていた補助金が打ち切られたため、家庭の燃料代支出が急増して家計を圧迫してしまいました。
これらの不満が、政権を担っているブータン調和党に向かい、政権交代に結びついてしまったという訳です。
また、急激な経済成長により、若者が都会に出るようになったことから、かつての日本のように農村地域での高齢化と過疎化が進行し始めています。
つまり、「しあわせの国」と言われたブータンでは、経済が発展したことでさまざまな問題が噴き出し、その結果、国民の不満が高まって結果政権交代が起こるという、「普通の国」に見られる現象が起こっているという訳です。
そのような現状を知ると、世界で一番の「しあわせの国」だと国民が満足していた時のブータンは、単に経済発展が遅れていただけの開発途上国だったのではないかという感じさえしてしまいます。
果たして、いったい私たちにとってどれくらいの暮らしが「しあわせ」なのでしょうか。
私たちは、日頃漠然と「こうなれば幸せ…」「ああなれたら幸せ…」と思っていたりしますが、それはいつも他の誰かとの比較においてです。
ブータンの人びとも、電気の普及によってテレビを持ち、隣国インドの豊富な商品を目にしたことから、「自分もあれが欲しい」という思いがあふれ、それを手にするために現金収入を求め住み慣れた町を離れて都会に赴くという、「普通の国」の人びとの歩みを踏襲しました。
まさに「インドの人たちはいいな…」から始まった歩みです。
けれども、その結果、大半の人びとが手にしたのは「しあわせ」ではなく、「不平不満」の方でした。
さて、どうすれば私たちは揺らぐことのない「幸福感」を持つことができるのでしょうか。
このような、人間としての根源的な問題に私たちが出会うとき、仏さまの教えは私に寄り添いその答えを、そして進むべき道を明らかにしてくださるように思われます。
今年は「問いの心」をもって仏法に耳を傾けてください。