お経は、お釈迦さまが弟子に向かって説かれた教えを文字にあらわしたものです。
ただし、お釈迦さまが生きておられる間は、お経はありませんでした。
お釈迦さまが亡くなられた後、主だったお弟子が集まり、「後の世にの人びとにお釈迦さまの教えが正しく伝わるように」と、それぞれが聞いてきた教えの内容の確認が行われました。
これを「仏典結集」といいます。
はじめの頃は口伝えでしたが、それでは間違いが生じるおそるがあることから、文字に記録されるようになりました。
これが、現在残っているお経です。
サンスクリット(古代インドの文章語)で書かれたお経は、インドから中国に渡り、漢訳されたものが日本に伝えられました。
浄土真宗の開祖・親鸞聖人は、数多くあるお経の中から、「浄土三部経」を大切にされました。
「浄土三部経」とは、「仏説無量寿経」「仏説観無量寿経」「仏説阿弥陀経」のことをいいます。
これらのお経は、阿弥陀仏の浄土に生まれることを勧められた内容が説かれています。
お経といえば、「亡き方に対して僧侶がお勤めしている」といったイメージをお持ちの方も多いと思います。
「仏説阿弥陀経」の中には
“従是西方過十万億仏土有世界名曰極楽其土有仏号阿弥陀今現在説法”
(ここから西の方へ、十万億もの仏土を過ぎたところに極楽と呼ばれる国があり、そこに阿弥陀仏と申し上げる仏がおられ、今現に教えを説いておられる)
とあります。
これは、お釈迦さまがお弟子に対して仏になる道を説かれたように、阿弥陀仏は現に今、この私に対して浄土に生まれ仏になることを願う、念仏の教えを説いておられるという意味です。
読経の際に、漢文の棒読みですから、聞いていても何を言っているか分からない、あるいは自分でお経を手にして読んでも、漢字だらけで意味が分からないという方も多いかもしれません。
だから、浄土真宗では読経の後に、お経の意味をひもといて僧侶が法話をしているのです。
読経中は、意味を理解するよりも「儀式」と割り切っても良いではないかと思います。
ただし、そこに、
「私たちは直接お釈迦さまの説法を聞くことはできなかったが、亡き方の仏事を縁として、今ここに時空を超えて、お釈迦さまの説法に耳を傾けるということを再現しているのだ」
という意義を見いだして頂けば、読経は極めて意義深いものとなるのではないでしょうか。
お釈迦さまの説かれた教えが、時代が変わっても、私たちに届いていることを思うとき、み教えを説かれたお釈迦さまはいうまでもなく、その尊いみ教えを残して下さった仏弟子の方がた、仏法を受け継ぎ伝えて下さった先人のご恩を大切に、有り難く受け止めさせていただくことです。