私たち人類の歴史は、誰かが「こうなればいいのに…」とか、「ああなればいいのに…」と思ったことを、科学の力によって次々と実現してきた足跡ともいうことができます。
例えば、「人の足よりも早く移動したい。しかも、馬のように途中で疲れたりしない乗り物があればいいのに…」、という思いから自動車や汽車ができました。
また、「鳥のように空を飛び回りたい」という思いが飛行機を、「遠くの人とも傍らにいるかのように語り合いたい」という思いが電話を、「いつも見上げている月に行ってみたい」という思いがロケットを…、この他、数えきれないほどの多くの人びとの思いが今日まで長い年月をかけながら結実してきました。
おそらく、これからも以前は空想に過ぎなかったことや、誰かが「こうなればいいのに…」と思っていることが、やがて科学の力によって現実のものとなっていくのだと思われます。
ところで、私たちの人生は、決してやり直すことはできませんが、何度でも見直すことはできます。
それでも、これまでの自分の人生を振り返ると、もしやり直せるものならやり直したいと思ったりすることが少なからずあったりします。
例えば、何らかの決断を迫られたとき、もう一方の選択をしていたら…と。
そんなことを思ったりした時、ふと「ドラえもん」に登場するひみつ道具の一つ、「タイムマシンは将来作られないのかな?」と、期待することがあります。
では、もしタイムマシンがあれば、どのようなことをしたいのかというと、過去において後悔している自分の言動をやり直してみたいのです。
あるいは、それが無理なら、失敗だったと考えている選択をする前に自身に適切なアドバイスをしたり、問題解決の上手な方法を教えたりしたいと思うのです。
さて、はたして「タイムマシン」を作ることは技術的に可能なのでしょうか。
理論上は、未来に行くことは可能なのだそうです。
アインシュタインの「特殊相対性理論」によれば、「すべての物質は光より速く移動することはできない。物質は光速に近づくと質量が増加し、時間の流れが遅くなる」のだそうです。
したがって、速いスピードで移動し続けると、地上で普通に暮らすより時間がゆっくり流れます。
例えば、双子の赤ちゃんの兄の方を地上に残して、弟の方は光速に近い乗り物の中で暮らしたとします。
そうすると、80年後、地上に戻ってきたとき弟はまだ10歳です。
つまり70年後の未来に到着したということになります。
これが、いわゆる「ウラシマ効果」です。
そうすると、未来に行くためには光速に近いスピードで動く乗り物が開発されれば、理論上は可能ということになります。
ただし、光速に近い乗り物での移動となると、景色を楽しむどころではなく、瞬間移動といった感じになるのでしょうか。
その一方、過去に行くのは難しいそうで、様々な仮説は立てられたもののいずれも証明されていないそうです。
それどころが、多くの物理学者は、過去にいけないことを証明する研究をしているのだそうです。
そう聞くと、よけい「過去にいけないものか」と思ったりしてしまいます。
未来よりも過去に関心があるのは、私が「歴史好き」ということがあります。
したがって、タイムマシン(過去)への興味は、つまるところ歴史上「謎」とされていることが、実際はどうだったのか知りたいということに尽きます。
一般に、私たちが学校で習ったり、通説となっているような歴史の大半は「勝者」の側から書かれたり、そのような視点からとらえられていることが多いように思われます。
ところが、歴史小説などでは敗者の側から書かれたり、全く別の視点から再構築されているものがあったりします。
そこで、本当はどうだったのか知りたくなる訳ですが、そういったことは数え上げればきりがありません。
一方、そういった事柄は、謎だからこそ人びとがいろいろ想像したり、諸説があったりして面白いのかもしれませんね。