先月、「世界でいちばん貧しい国の大統領」の愛称で知られる、南米ウルグアイの前大統領、ホセ・ムヒカさんが初来日されました。
一週間ほどの間にテレビの取材を受けたり、大学で学生に講演をしたりされたのですが、その中で次のようなことを述べておられます。
人生には愛のために多くの時間が必要であり、他者が必要だ。
貧しい人というのは、コミュニティーを持たない人であり、伴走してくれる人がいない人のこと。
最も大きな貧困とは孤独です。
私は貧しいわけではない。
単に質素が好きなだけだ。
本当にやりたいことができる自由がある。
物が必要なわけではない。
今、世界ではいろいろな「格差」が問題になっています。
その一つが経済格差ですが、ムヒカさんの考える「貧しさ」とは、一般に私たちが考える金銭の欠乏による貧しさのことではなく、「コミュニティーを持たない人であり、伴走してくれる人がいない人のこと。最も大きな貧困とは孤独」だといわれます。
これと同様のことを、平安時代の源信僧都が『往生要集』の中で、
我今無帰処孤独無同伴(我今帰る処なし孤独にして無同伴なり)
と述べておられます。
これは、地獄の中でも一番苦しみの激しい無間地獄に堕ちた時に味わう苦しみを描写された箇所ですが、人間にとっての最大の苦しみは「孤独にしてだれも伴う者がいない」ことだと示しておられます。
お二人の言葉から知られるのは、人間にとって一番悲惨で苦しみの激しい状態は「孤独」だということです。
聞くところによると、授乳の際、赤ちゃんが乳を飲むことを中断して周囲を見回したりするのは、人間だけなのだそうです。
他の動物にとって、赤ちゃんに乳を飲ませている時というのは、親子が一番危険な状態に身を置いている時です。
なぜなら、母親は赤ちゃんに乳を飲ませている間は身体の自由を奪われるため、他の動物に襲われた場合、自由が制限されるからです。
そこで、赤ちゃんの方も、授乳の際は集中して一気に飲むのだそうです。
できるだけ早く飲んで、安全な場所に身を潜めるというのが動物の授乳の姿です。
そこで、人間の子どもはなぜ授乳中に口を離すのか、その仮説が立てられ、証明するための実験が行われました。
実験では100人の親子に集まってもらい、50人ずつの2つのグループに分かれ、第1グループには、口を離した時、母親は赤ちゃんをあやしたり話しかけたりして、よくかまうようにしてもらいました。
第2グループには、口を離しても赤ちゃんにはかまわないでいてもらいました。
実験を重ねた結果、何もかまわなかった第2グループの赤ちゃんはだんだん乳を飲まなくなってしまいました。
このことから、赤ちゃんが授乳中に口を離すのは、母親にかまってもらいたいからだということが分かりました。
人間は、いつも自分が誰かから見つめられたり案じられたり、また誰かから語りかけられたり相手をしてもらったりするということがなければ、生きてはいけない存在なのです。
まさに、人間ほど孤独に弱い生き物はいないのです。
携帯(スマホ)の普及によって、いつでも仲間と電話やラインなどでつながることができるようになった反面、電波の届かない所にいると「天涯孤独」ならぬ「圏外孤独」になって落ち着かなくなる人もいるのだそうですが、このように人間は「孤独」に極めて弱い存在であり、周りから見守られているということ必要とする存在なのです。
人と人との間を生きることから「人間」という言葉で形容される私たちにとって、「孤独」であることほど辛いことはありません。
例えば、どれほど嬉しいことがあっても、それを語り伝え共に喜んでくれる人が一人もいなければ寂しさがつのるばかりで、かえって空しくなります。
また、悲しいことがあった時、その辛い胸の内を語れる人が誰もいなければ、余計に落ち込んだりします。
私たちは生きて行く中で、その傍らに共に心を開いて語り得る人がいれば、喜びは倍加し悲しみは半減するように思われます。
そうすると、「あなたは私にとって本当に大事な存在なんだよ」と言ってくれる人がいる。
そして、そういう言葉に出会うとき、私たちは今、自分がここにこうして生きていることに感動することができるのではないかと思います。