はっ――と白けたものが弟子僧たちの顔いろに走った。
何事にもかつえものに動じた例
(ため)しのない親鸞の眉にすら、
「なに、聖覚法印から……このお文とな?」
不安の影がちらと曇って、やがて読み下してゆくうちに、書状をくりかえしている手がかすかに震え顫(ふる)えを見せた。
(唯事ではない)と、人々の胸には重いものがのしかかった。
親鸞のまつ毛には、明らかに、涙が光っていたのである。
――誰が、この上人の涙ぐんだ睫毛を今まで一遍でも見た者があるであろうか。
「……お哀傷(なげき)はさることながら、御赦免の天恩を浴み、おなつかしい京都(みやこ)の土をお踏み遊ばしてからおかくれなされたことが、せめてものことでござりました」
明智房のことばに、
(さては、大祖法然様には)と、弟子僧たちは、初めて、安居院の聖覚法印の書面が、法然の死を報じてきたものであることを知った。
明智房は、さらにことばを継いで――
「初めて、お病床(とこ)におつき遊ばしたのは、ちょうど正月二日でございました。ほんの風邪ぐらいなご様子であったのが、にわかに、おわるくなって、お年もはや八十のご老体とて重るるままにお息も弱り正月二十五日、眠るがように、大往生をおとげ遊ばされました」
といって、瞼を抑えた。
「――その、ご書面にも、つぶさに法印からお認(したた)めございましょうが、大谷に集まった法弟の人々は、この後の念仏興法の道を、いかにしたものかと、評議もまちまちに迷っておりまする。今はただ、越後の親鸞が、帰洛の上に、よい策もあろうぞと、人々はひたすらあなた様の都に入る日をお待ち申しておる有様、何とぞ、一刻もはやく、ご帰洛下さいますよう、安居院の法印からも、くれぐれお言伝(ことづ)てでございました」
化石したように、親鸞は瞼をふさいだ面を空に上げていた。
蕭々(しょうしょう)と並木の松は鳴っていた。
つき上げて胸にせまるものが、容易に心を落ち着けさせなかった。
――どうじに、大祖法然という中心の巨星を失った都の念仏者たちのかなしみや失望や彷徨や、あらゆる周囲も彼の眼にはありありと映ってくる。
明智房は、膝をすすめ、
「さだめし、ご落胆もあろうぞと、安居院の法印も申されておりました。しかし、ここぞ、念仏門の浮沈、せっかく、御大赦の天恩が下ったと思えばこの悲報に、人々は、暗黒の中に迷う思いをしておりまする。おつかれもござりましょうし、定めし、お力落しでもございましょうが、何とぞ、一刻もはやく京都へお出まし下さいますよう、私からも、お願い申しまする、どうぞ、皆様にも、ともども師の御房をお励まし下さって、お急ぎ下さいますように」
と、西仏、生信、光実、了智などの人たちへも顔を向けていった。
――が、親鸞は、
「いや……」と、かすかに顔を横へ振って、こういった。
「小松谷のおわかれに、この法然の舌はたとえ八ツ裂きになるとも、念仏は止めまいと仰せられた――あのお声は、もう二度と聞かれぬことになったのじゃ。
――その京都に何のたのしみあって参ろうぞ、この上は、親鸞はもう上洛をいたしませぬ。
……ああ、深くて、うすい現世(うつしよ)のご縁であった。