秋の収穫も終っていた。
「――お上人様がお帰りになった。信州からおもどりになったげな」
稲田から宮村の辺りへかけて、その日、人々はこぞって出迎えに出ていた。
親鸞が、自身信州へ赴いて乞い請けてきた一光三尊の善光寺如来の御分身を出迎えたのである。
帰依の大檀那(おおだんな)たる大内国時も城を出て親鸞たちの一行をむかえた。
小栗の城主尚家(ひさいえ)もきていた。
相馬、笠間などの大小名をはじめその家臣、郷士、町人、それを観る雑多な民衆――なにしろおびただしい人出である。
この地方の文化が興ってから始めての盛観だという老人もある。
一光三尊の御分身は、伽藍の建築が完成するまで、先ず宮村の庵室へ、仮に安置することになった。
夜になると、田や畑の者が、それを礼拝したさと、ここの法話を聞こうとして、狭い庵室に入りきれないほど押しかけた。
毎夜のように、草庵は、明々(あかあか)とかがやく灯と、そうした人々の膝でいっぱいに埋められた。
――秋も暮れてくる。
野や田や、木々の葉は、蕭々と冬枯れを告げてくるが、宮村の草庵の灯は、いよいよ、常世の光明にみちていた。
年が明け、春が来る。
さながらここは法(のり)の万華の咲きみだれた浄土曼荼羅であった。
「ありがとうござりまする」
「また、あした参りまする」
「どなた様も、御免なされませ」
「どれ、わしらも――」
その日の集まりは、たそがれに終って、昼間の法筵(むしろ)であったので、多くは野に出て働かない町方の女房だの、老人だの、病人や子どもたちであった。
みな、よろこびにあふれて、庵室からぞろぞろもどってゆくのである。
――今、法話(はなし)を終って、ほっと、ほの紅い顔して白湯をのんでいる親鸞の前へ一人一人出て、こう挨拶をしながら――
その中に、一人の女が、壁のすみにうつ向いていた。
すべての人が、立ってから出ようとするもののように、つつましやかに、まだ坐っていた。
もう庵室のうちは暗かった。
そこらには、灯りがきている。
夜風に明滅する明りの影に、その女の削ったように痩せている顔のおくれ毛が、淋しげに、うごいていた。
「……あ」
女は、気がついたように、眸を上げた。
もうまわりには人はいなかった。
急に恥かしくなったように、女は、上人のまえへおそるおそる両手をついて、
「ありがとうございました」
そして、一光三尊仏の壇へ向って、白い手をあわせ、
「なむあみだぶつ」
何遍かとなえて立ちかけた。
親鸞は、さっきから、その女を見ていたのである。
――いやその夜に限らなかった。
もう幾度となく法筵(むしろ)のある時には、いつでも、壁の隅のほうに小さくなって、熱心に自分の話に聞き入っているこの女のあることを知っていた。
――ふと姿の見えない時は、親鸞も心のすみで、
「きょうはどうしたか」
と、軽く案じられるほど、いつでも注意していた女性(にょしょう)なのである。
「お内儀、ちょっと、お待ちなされ」
と、親鸞は、今までことばをかけたことのないその女に向って、初めてその日、こう声をかけた。
*「一光三尊(いっこうさんぞん)」=中尊と両脇寺(りょうきょうじ)の三尊が同一の光背を負う仏像。