親鸞 2016年12月5日

「なんじゃ、この男は」

「怪態(けたい)な」

「気が狂うてか」

「癲癇(てんかん)じゃろ」

人々から眉をしかめられて、平次郎はハッと思った。

(気のせいだ)なんで、お吉が生きているはずがない。

しかも、国主、城主、侍衆などのいならんでいる本堂の上に、親鸞の側近くに従いているわけなどが絶対にない。

(しまった……自分で自分の罪を口走るようなものだ)

彼は、こそこそと、人の後ろへかくれ込んだ。

しかし、どうしてもまだ気にかかるのであった。

またそっと首をもたげて――じっと気を落ち着けて――本堂のほうを窺(うかが)った。

 親鸞のすがたの側に、やはりお吉の姿が明らかに見えるのである。

導師親鸞は、式事をすまして、中央に坐っていた。

お吉はうしろのほうに、両手をひたとつかえている。

 国司と親鸞とのあいだに、なにか話が交わされているらしい。

お吉も時々、おそるおそる顔をあげて、親鸞のうしろで答えているかのように見えた。

「生きてるっ――。おう、おう、お吉。――お吉じゃねえか」

憑き物でもしたように、平次郎は両手をあげてまた狂った。

もうこんどは止らなかった。

群衆の頭の上を踏みつけて、本堂の階段のほうへ遮二無二近づいてゆくと、前後もわすれて、

「女房っ、女房っ」

唸(うめ)きながら、そこを駈け登ってしまった。

「無礼者っ」

廻廊にいながれている国司の家来たちがいちどに立ち上がり、群衆もこの異様な狼藉者に、わっと、驚いて立ちくずれた。

「ま、おまえ様は」

お吉は、真っ蒼になって、絶叫した。

 平次郎は、群衆へ何か告げ知らせたいような手振りで、

「生きていたっ、生きていたっ――」

と、さけびつづけた。

「ひかえろ」

飛びかかってきた侍は、左右から彼の狂いまわる腕をつかまえて引き据えた。

藤木権之助と広瀬大膳の二人であった。

「言語道断な奴めが」

「お場所がらをわきまえぬか」

と、叱咤して、

「こりゃ平次、いつもの仕事場とはちがうぞ、ゆるし難い狼藉、きょうこそ、その素っ首を打ち落としてやるから立てっ」

襟がみを引摺ると、平次郎はもう痩せ犬のように身を縮めているだけだった。

 すると、凛として一方から、

「お待ちなされ」

 つと、声がひびいた。

 何者が遮るのかと、権之助が振り向いた。

法名を乗念房という尾張守親綱(おわりのかみちかつな)の声だったのである。

権之助は心のうちで、

(なぜ止めるのか)と、問い返すような眼を彼へ向けた。

親綱は、

「上人の御意です」

と、次にいった。

 その一言に、誰もみな黙った。

しいんと鳴りをしずめて、眸は上人のほうへ集まっている。

親鸞は、やおら法衣(ころも)のたたずまいを改めて、

「その者を、これへ」

と、さし招いた。