私は小児科の医師ですが、病院で「ビハーラの会」を毎月1回開催しています。
23年間続けてきました。
浄土真宗のお坊さんを毎月お招きしてお話してもらいます。
私はお坊さんを選びます。
お浄土のない人に来てもらっても困るからです。
20代から70代くらいまでいろんな方が入退院していますので、その人たちが聞くわけです。
入退院が激しく、一生に1回しか聞けない人もおられます。
また、昼間仕事があって聞きにこれない人たちのために夜に「やさしい仏教講座」も開催しています。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と称えれば、その先にお浄土があるというようなやさしい内容の仏教の話です。
主語はすべて阿弥陀さまです。
阿弥陀さまはこのようにしてくださいますという話です。
長寿になると大変です。
死ぬということと毎日向き合っていますから。
そして、死について解決のない人は
「どうなるんだろう、みんな行くっていうけど、どこに行くんだろう。向こうで会えるというけどそんなのあるのだろうか」
と、さっぱりわからない。
ちゃんとした極楽浄土のお話を聞いていないからです。
外来で、あるときとても死を怖がっている患者さんがおられました。
その患者さんに
「阿弥陀さまという仏さまはね、必ず救う任せておけとおっしゃる。そういう仏さまがいらして、必ず極楽浄土に救ってくださるのよ」
と言いました。
すると「よかった、よかった、ああ、助かった」って保育園の子どもみたいにわあって泣きだされたことがあります。
そばにいた若い看護師がその人の後ろに回り、そっと肩に手をおいて
「そうよ、阿弥陀さまって仏さまはね、阿弥陀さまのことを何とも思っていない人こそ、救いたいと思っていらっしゃるのよ」
って、ナース自身もぼろぼろ涙を流しながら説き始めたのです。
私もびっくりしました。
診察室の中で、もらい泣きをしながら、阿弥陀さまがここにいらっしゃるなと思いました。
この瞬間、この方の心は本当の救いというものを得たのでしょう。
なかなかお浄土のことを信じなかった患者さんが、がんの末期になって「先生、称えるべよ」って言いました。
「何を称えるの」と尋ねたら「南無阿弥陀仏だよ」って言うんです。
それから、その患者さんの顔の表情がとても柔和になりました。
色々な苦労はあるけれども、もうどっちに転んでも極楽浄土に参るという安心の上に生きているという境地に至ったのです。